白くて馴染まない:喫煙所

「11月は、ドイツでは、寂しい月なんです」60歳前後の男性教授はドイツの祝日を説明しながらそんなことを呟く。難しい言葉を使って繰り広げられる講義の大部分はうまく頭に入ってこなくて、とりあえずホワイトボードに書かれたキーワードたちをプリントの端っこにメモするという位だったけれど、講義の始まりの挨拶として発せられた教授のそんな一言だけが、まるで美しい音楽が流れた映画のワンシーンみたいに、記憶の奥底の方に跡を残した。

東川と工藤に会ったのは講義が終わった後のことで、喫煙所となっている本校舎裏のウッドデッキで寝転がっている時だった。その場所は学校で唯一と言っていいくらい静かな場所で、おまけに(東川や工藤を除いて)見知った人々と会う確率の少ない所だったから、僕はトートバックにいれた上着のパーカーと単行本を枕に、所々黄色がかっている木の葉が風にちろりちろりと揺れるのを眺めながら、夕方過ぎから行われる次の講義までの時間を、何の気なしに仰向けになって潰していたのであった。

「あれ?」という少しばかりおちょくっているような声に反応して、うつろな目のまま身を起こすと

「火持ってない?」と、東川が隣に座り込みながら工藤へと片手を伸ばしていた。

「ある、ある」工藤も胸ポケットからジッポ・ライターを取り出しつつ、僕の隣へと座る。僕はなんだか狭い部屋から抜け出でたような心地良さを感じながら、彼らのしゃべる事柄に耳を傾けて、笑ったり、頷いたりした。東川は小さな声でよくしゃべった。工藤はそれに大きくゆったりとした声で反応し、お返しに自分の話をする。最近観た面白いドキュメンタリーの話、美味しい食べ物の話、音楽の話。……

「散歩に行こうよ」会話が一通り終わったあとの、少しの静寂の中で東川がつぶやいた。「いいねえ」工藤が名案とでも言うかのように目を細めながら大きな声を出したのに合わせて、「行きますかね」と自分もつぶやく。東川は忙しなさげに煙草の火を消すと、「久しぶりに晴れているし」と立ち上がる。工藤はいち早く歩きたがっている東川に、気付いていないのか、あるいは、気付いていないふりをしているのか、大層ゆっくりと、美味そうに煙草を吸っていた。僕はそんな二人を認めながら、ゆっくりとトートバックに入れておいた上着を着込む。

「あそこまで行こうか」学校前の通りを歩きながら工藤は前方遠くに見える白い塔を指差した。まるで富士山を目印に富山県を目指す気ままなドライブみたいに、我々は散歩の目的地として、浅草方面にそびえ立つ東京スカイツリーを設定したのであった。

スカイツリーってさ、出来てからしばらく経つけど、浮いてるよね、街並みから」工藤が不可解な謎に眉をひそめる名探偵のような口調で言う。

「東京タワーと比べてしまうとねえ。あれはなんだか、もう古き良き東京の象徴としての、市民権みたいなものを得ている気がする」

「あの暖かい色合いも、ね」東川に付け足すように色彩のことを言った僕に工藤は大きく反応して、「そう、なんか白すぎて、馴染んでないんだよね」と言った。

「ははは」

どこからか聞こえてきたその笑い声は、他ならぬ、夢と通学途中に出会った女性のもので、僕は忘れていた彼女のことを、はっきりと思い出す。

「白すぎて、馴染んでないんだよね」彼女はその言葉を楽しそうに繰り返している。

勿論というべきか、当然のごとく、他の二人には、その声はちっとも聞こえていないようだった。