ウェス・モンゴメリーを聴いていた頃

「君が住むこの街にある、"生きやすさ"という満足は、きっと何物にも代えられないほど心地よいものなんだと思う。それなりに真実味のある苦労があって、それと引き換えに得ることのできる自由時間だって真実味がある。私の言っていることはわかる?」
「わかると思う。」僕は外の街から来た彼女の言うことを、しっかりとではないけれど、それなりに確かなものとして、肌に感じることができた。
「でも、しばらくしたら、私はやっぱりこの街から出ていくことになるんだと思う。私の持つ故郷と言うべきあの街は、決して誇るようなものなんてないのだけれど、それでもあの街にもう一度帰る為の道筋を辿るようにして、また車の後部座席に乗り込んで、次の街へ、あいつらと行くんだろうな」彼女は潤いのある目で遠くを見るようにしながら微笑んでいる。おそらく"あいつら"のことを考えているのだろう。
僕らは真夜中寝床を抜け出して、昼間のうちに見つけていた坂の上のベンチに腰掛けながら、どうしたって蒸し暑い夏の夜を二人して過ごしていた。やがて遠い過去なるはずの、微笑ましい輝きを持った思い出になるはずのひと時だとお互いに分かり合いながら、だからこそ言葉をかわすことが、大切であるのかもしれないと思ったりもしながら。
「この街での想い出はいいものばかり。食べ物もおいしかったし、暖かい人たちがたくさんいる。だからいつかまた、来ることができたらと思うよ。」
「その時に僕は、もしかしたら、この街にいないかもしれない。」僕は考えなしにそんなことを言う。
「ううん、きっと君はここにずっといるんだよ」やさしい顔で、それでも幾らかの冷たさをもって、彼女はぼくにそう言ったのだった。
「君はこの街の中でなにかを失いながら、同時に何かを得て、夢をみて、夜を友達と過ごしながら、同時になんとなくの寂しさにやられて、それでも充分に実感のある毎日を、生きていくんだと思う」
やがて、風だけが動く時間になって、僕らは黙ってしまう。どのくらい経ったのかわからないまま、君が小さな声で「ごめん」と言う。
「ううん。」僕が返すと、また沈黙が訪れる。嫌な時間ではなかったけれど、心臓が少し浮いているような、落ち着かなさがそこにはあった。
「おやすみ」君はベンチからゆっくりと立ち上がって、右回りで振り返る。
「おやすみ」僕はなんとなく、もう少しそこに居ることにした。
時折あの夜を思い出す。あの時、君は謝ることなんて、何一つなかったのに。