にっき9

風邪気味で行く神戸日記3

 

8月某日

 

最近は母親の怒りを台風かなんか異常気象のひとつだと思うようにしていて、これが案外その通りらしい。

あれは理屈ではないし、「正しさ」によって収まるものでもない。流動的なマグマであって事実関係などはあまり関係ない。原因を特定したところで台風がなくならないように、一度低気圧やら高気圧やらがまずい具合になって台風の芽ができたら本当に収まるまで待つほかないのだ。

しかし超常現象は耐え忍ぶものであると同時に、工夫次第でいくらかの被害を防げるものでもあって、吹き荒れる台風はどうにかしてやんわりと上手く少ない被害に抑えられたりする。

そしてその「被害を最小限に」は地域の人々が結託して行わなければならないものだ。具体的に言えば母親の怒りが起こった場合まずすべきことはそれが他人に(父親に)向けられているとしても台風という客観的事件の収束のために全力で謝り倒すことである。やんわりと、気持ちを込めるようにしてひれ伏す。

ちなみに我が家は二世帯住宅で祖母は未だに甲高い声をしていて、祖母が何の気なしに放ってしまった甲高い一言がまるでコーラに入れたメントスのように爆発を引き起こしてしまったりして、そういうのが本当に勘弁。

 

アウトレットで靴を買うことになって僕は空気公団の「真っ白い靴が汚れている そのくらいがなんだか好きなんだ」という歌詞を思い出し汚れた白に憧れて白い靴を買ってみたら案の定台風が起きた。白い靴は母親にとっては圧倒的タブーだった魔法学校におけるアバダケタブラのように。

僕たちは自分の持つたくさんの大切なもの、手荷物やら夢やら思い描いている未来やらほんの少しの自分への肯定意識などを飛ばされないように胸に抱えて言葉の無差別な暴力に耐える。人権はそこにはなく、やもするとそれは虚言だと言い当てたくなるがそれは風を悪化させる事にしかならないのは百も承知だ。父親もお前一次被害でどれだけ防げるかが鍵だぞ、という目をしている。

父親を盾にする。僕は何の気なしにイヤホンをつけて眠るふりをする。

イヤホンを外す気はない。外はまだ吹き荒れていて、親戚たちに乱雑な風があたっている。本当に皆さんすみません。