フクラム国

タルイのブログです

井の頭公園13:30

人は分かりやすくするための決めごとを長年かけて作ってきた。けれど自然は自然と混沌としていて、そんなものの中に、分かりやすく線を引いた分だけ、世界は矛盾だらけになってしまった。

蔓延する矛盾と自分との折り合いをつけていくことがアイデンテイテイの確立とかオトナへの一歩とか、そういう言葉で表されるとするなら、「早熟」こそ最高の褒め言葉であって、僕らは一刻も早く「大人びてるねぇ」の名の下に、世界の矛盾に対して個人的な感慨を巡らせては、周りから変人と謳われながら人間として価値のある今世を守る必要があるのだろう。一週目、二週目、三週目、と矛盾を回りながら。

 

そんなことを邪悪な科学者をしている友人のブログから徒然なるままに考えるくらいには今よくわからない時間を過ごしている。

高円寺で土地の神をしている友人の自転車を停めていた駐輪場から過剰な請求額を言われてしぶしぶ野口を失った挙句両輪パンクしている友人のそれを自転車屋で直してもらっているところだけれど、多分あれはチューブごと取り替えることになるくらいボロボロだったから5000円弱かかるのだろう。大体僕が終電で帰るというのを力で阻止して自分の自転車で帰れと家まで連れて行った挙句自転車が両輪パンクしていてそれでも徒歩よりはマシだと両輪パンクしたそれで吉祥寺まで午前2時半の街を走らせる奴を僕は友人とは呼びたくない。「僕なりの愛ですよ」ともしかしたら言うのかもしれないけれど。僕が図書館でエターナルシュレッダーをして稼いだお金は一体どうしてこんな風にして、とまあ、友人からパンクのお金は貰うけれども、使い果たされてしまうのだろうと思うし、一体どうしてこんな風な足止めを僕はくらっているのだろう。といっても僕がこれから何をしにいくのかといえば、ロマンティック・リアリストとの打ち合わせと言う名の暇つぶしであって、これもまた無駄な浪費と世間に言われたりするらしい。

 

14時には修理が終わるとのことで、井の頭公園のベンチに座っていると、何かの幼虫がまさに蛹になりかけているところで、あれ、この虫の名前はなんていうんだっけと、そんなことを思う。

土地の神からは返信がこなくて、彼の家なんてどこにあるのか完璧に忘れているから、やもするとあの自転車は高円寺の名前のない神社に放っておくのが良いかと思う。適当に処分して欲しいし、なんなら長ったらしい祭事にでも活用して欲しい。

 

それにしても忙しいという言葉とは随分遠くに来たつもりがしていたのに、あいも変わらず、誰かに嫌われながらも、誰かのために忙しくなることを拒めないようで、そんな自分の部分を一概に短所だとは思わないけれど、どうもこうもどかしい。科学者や土地の神や或いはロマンティック・リアリストとの、時間と金だけが意味も価値も何もなく消えていく、全世界的に見て堕落していくばかりの毎日があって初めて、僕の人生もそれなりに面白いのかもしれないと、思えたりするからだ。

いや、彼らは間違いなくある種の悪魔であるとぼくは断言してはばからないけれども