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タルイのはてなブログ

タルイのブログです

本の話1

 昨年取っていた講義の先生が、集英社文庫から『ポケットマスターピース』というシリーズが出たと知らせてくれた。トルストイルイス・キャロルカフカディケンズなど古典的な小説家たちの名作が文庫で読める、とのことで、先生も少し関わったという。

 大学の図書館に入れておいたとおっしゃていたので早速借りに行った。先生がヴィクトリア朝の専門だったことは知っていたから第12巻『ブロンテ姉妹』を借りたところ、なんと少し関わったなんてとんでもなく、本文のほとんどが先生の翻訳であった。

 

 ブロンテ姉妹はヴィクトリア朝を代表する三姉妹で、それぞれが名作を書き残している。長女シャーロットの『ジェイン・エア』、次女エミリーの『嵐が丘』、三女アンの『アグネス・グレイ』などがそれである。

 本書にはエミリーの美しい詩の訳がまずあり、続いて『ジェイン・エア』の抜粋、そして『アグネス・グレイ』が先生の翻訳で書かれていた。そこにはヴィクトリア朝の女の子が持っていたある種の「閉塞感」と、想像力豊かな恋の有り様が美しい形で記されていた。

 彼女たちが味わった時代の束縛感を僕は直接的に感じることができないけれど、それでもいつも感じている「ここではないどこかへ」という心の飢えを、遠い時代の遠い英国の女性が強く願っている姿は魅力的だった。家から出て家庭教師になりたいと願う、単調な日常から脱したいと常に願っている、その純粋な欲望には共鳴するものがある。

 加えて恋の想像力である。僕たち人間は限られた時に、限られた姿を見ることしかできないと、その限られた部分から、ひとりの人物のいわゆる性格などを「想像力」で作り上げていくことになる。だから出会わない間にも恋というものは理不尽に膨らんでいく。姉妹たちが持つその想像力の大胆さ、繊細さは、異性として甚だ興味深く、強く惹きこまれた。

 

 いくら有名な「ブロンテ姉妹」と言っても、僕は先生の講義を取らなければ、きっと、読むのがもっと後になっていたことだろうと思う。少なくとも、この本をこのタイミングで読むことはなかったのだ。

 読んだ本をこういう場所に書くというのは、そういう面でやっぱり意味があると思う。読書習慣のある人にとって、あるいは少しでも読書に興味のある人にとって、「何の本を読むか」ということは大事なことだ。好きな作家の本だとか、好きな作家が影響を受けた本だとか、そういったものに際限なくのめりこめればいいけれど、僕はやっぱり、それだけだと飽きてしまう。自分の好きな作家の他の本を読むのと同じくらい、あるいはそれ以上に、現実に知り合った誰かが勧めてくれた本を読むのが好きだ。自分だけの本棚が、ひたすらに自分の好みで埋め尽くされるのではなく、誰かから勧められてなんとなく「出会ってしまった」本で溢れるようになってほしいと願う。

 人との出会いが大事、なんて言葉はあまりにもありふれているし、そのことが何よりも大切だ、と言い切れるくらいにはわかったつもりになっているけれど、でもやはり何度でも確認するべきことがあって、それは、人との出会いなしに、僕たちはどうやってこの自由意志などまるでないような人生を楽しむことができるだろう、ということだ。誰かのせいで、こんなになってしまった。誰かのおかげで、こんなになった。そういった「外部からのノイズ」なしに、僕たちの人生は、どのようにして個人的で彩りのある、ささやかだけれど価値のあるものになっていくことができるというのだろう。

 

 だから君が読んで面白かった本があったら、僕に教えてほしいと思う。そしてその本に出会った時に、想像力の中にいる君のことを思い出す。本当はそれだけできっと、大変な価値があるはずだ。