僕だけのSunnyで

 好きな小説はどっさりと積んだ。CDもとびっきりのを揃えた。少し奮発したウイスキーの小瓶と、どうしてもまだ離れられないジンジャエールと、昔の恋人が描いてくれた肖像画は後部座席に積んである。

 サニー。庭の隅で忘れられていたオンボロの車は、ありとあらゆる理由に追いやられ捨てられそうになりながら、結局そこに残り続けてくれていた。捨てたかったものほどあの場所へ近づく足になる。道理で小さな子供ほど、輝いて見えるはずだ。

 

一速に入れる。

三千回転まで上げて半クラ

スタートしたらクラッチを切る。

スピードが出たら、クラッチをふむ。……

 

 頭の中で綿密に立てた計画は、きっと、悉く崩れてしまうのだろう。出だしはよくても、アクシデントが必ずどこかで起こり、僕はどこを目指していたのか、わからなくなってしまうに違いない。山小屋の裏に広がる樹海に迷いこんだみたいに。最短に見えていた道は、いつも途中でなくなっていて、大概最もめんどくさいと思っていた道だけが、次の街へつながっている。そうとは知っていながらも、懲りずに僕は、毎日のようにシュミレーションをする。

 

一速に入れる。

三千回転まで上げて半クラ

スタートしたらクラッチを切る。

スピードが出たら、クラッチをふむ。……

 

 いろんな人にお世話になって、色んな愛をもらって、傷つけて傷つけられて、色んな人を好きになった。全ての人を魅力的だと思う。頑張っている姿も、頑張ろうとしてだらけてしまう姿も、どちらも同じくらい、魅力的だ。けれど多分、人はそれぞれサニーを持っていて、それは声を出さないまでも、いつもどこかへ行きたがっている。その場所へたどり着くというのが、もしかしたらその人の、一つの使命かもしれないと思う。そしてそこへたどり着くまでに沢山のものを失うとしても、そこに辿り着けば、そのこと自体が人類全体にとって価値のあることになるのかもしれないと感じる。

 そうだと思わなければ、どうして表現なんてやっていけるだろう。自分らしさを世界へ発信することを、自己満足でもなく、承認欲求でもなく、自慰行為でもなく行うことができるとしたら、それは自分の車が到達する「どこか」の景色を世界に見せることが、今世における自分の使命なのだと心から思えているからではないか。そうでなくて、どうして不特定多数の人との繋がりを、身近な人との繋がりより優先することができるだろう。

 

 サニーに乗って、僕は一体どこへ行くのだろう。きっとそこには、いつも夢見ていた世界がある。道中には沢山の綺麗な女の人を助手席に乗せたいと思う。本とCDのせいでめちゃくちゃ狭いから、乗ってくれる人がこの先いるかはわからないけれど。

 変わらない景色に飽き飽きして、夢だとか希望だとか、たいそうな言葉を口にすることに疲れて、世間の中に溶け込み、どうしようもない孤独を紛らわせようとするネクタイを巻いた誰かは、僕によく似ている。

 だからさみしがり屋な自分よりも、今はサニーを信じようと思う。サニーならきっと、あの場所へ連れて行ってくれる。僕は黙って燃料を途絶えさせないように、しっかりと積み上げていこう。誰かに妄信することなく、自分の不器用さも許容して、ただ毎日を積み上げていこう。

 

 知らないうちにまた一年歳をとる。今年もできるだけ本を読みたい。文章を書き、絵を描いて、ピアノとヴァイオリンを練習し、講義をきちんと受ける。あとは車の免許を取ろうと思う。そしてかわいいあの子とデートをして、「キスしたい」とかそういった、どうしようもなく単純なことを考える。

 一人きりでこんな風に今日もまた、これからのことだけを思って、静かにシュミレーションをする。

 

一速に入れる。

三千回転まで上げて半クラ

スタートしたらクラッチを切る。

スピードが出たら、クラッチをふむ。……

 

 

 

f:id:m_tarui:20170331095009j:image

 

 

 

(終)