Here Comes The Sun and I Say 11

第11章 京谷:君の顔が好きだ

 

 全ての赤信号にひっかかり、工事現場に3度ぶつかり、その度に迂回して迷い込んだ知らない道で方向を間違える。悉く何かの強制力が働いていて、目的地に着くのを拒んでいた。少女はずっと小さな寝息を立てて眠っていて、彼女さえ背負っていなければこんな状況にはならないはずなのに、彼女がいるということだけが、この状況から僕を守ってくれている気がした。何か人外なものが意志を持って自分を疎んでいるように感じること、それは例えば電車がいつまでたってもこない時とか、大切な日に限って雨が降った時なんかに訪れて、それが案外、心には重たかったりする。だから多分人は、それを笑い話にしたり、自分を雨男(女)と名付けることでどうにか自分を納得させるのだろう。こればっかりはしょうがない、と胸のうちでうまく落とし込むのだ。けれど今日ばかりはそんな事を言ってはいられなかった。背後の少女の所為にする事は簡単で、つまり彼女を夜に手渡してしまえばそれで済む話なのだろうけれど、自分の中にある「深浦さんに会いたい」という身勝手な気持ちを捨てる事をしたくなかった。どうしようもない自己中心的な考えだ。けれど自分のその思いは、自慰行為ではなかった。限りなく自己満足的なエゴイズムのはずなのに、彼女に会いたいという思いになっただけで、それは自慰的な意味を無くしている。

 僕はうんざりとする度に、深浦さんの事を思って妄想を膨らませた。限りない細部まで想像しようと努め、僕の夢見ていた「世界」を共に散歩することだとか、或いは少しアダルトなことだとか、くだらないことだとか、彼女の服装から好きなものまでを妄想の中で転がした。そしてなんて身勝手なのだろうと自分で思いながら、その乱暴さこそがある意味で、男と女である意味なのかとも感じた。僕ら男の子と女の子は理解しあえないから、お互いを、限りない想像力で夢見ていくのかもしれない。

 夜は確実に頂点を越して、やがて近づいてくる太陽を待っていた。太陽は、深海からゆっくりと上がってくるダイバーのように、ゆっくりと、しかし確実に水平線に迫ってきている。それはまだほんの予感でしかなく、空は明るさを遠ざけていて。

 妄想に疲れると、ひたすらに好きな曲を歌った。ある時は歌詞を即興的に変えて歌った。それがうまく行かなかった時は、自分だけは面白く感じるもので、一人で少し笑う。世界に自分しか起きていないという感覚が確かにあって、その感覚に身を任せて、全てを楽しいものに変えてしまおうと思った。自分の声は全く空間に伝わることなく、悉く闇に吸収されてしまったように感じたけれど、それでも歌い続けているだけで、僕は常識的であることから抜け出して、この状況に立ち向かえる気がした。

「君の顔が好きだ 君の髪が好きだ

 性格なんてものは僕の頭で勝手に作りあげりゃいい

 君の肩が好きだ 君の指が好きだ

 形あるものを僕は信じる」

 斉藤和義の「君の顔が好きだ」を、何度も、何度も口ずさんだ。喉が疲れるので、一オクターブ下で、少しだけ体を揺らしながら、歌詞を好き勝手に変えて。少女は相変わらず眠っていた。

 

 恋愛に付随するあまりに多くの「ルート」「決め事」「計画」「順序」。それはおそらく、想像力を使わずに済むための、相手を傷つけずに置くための「安定策」なのだろう。だとしたら、僕は、とにかくそこから外れた存在であろうと思う。この上なく身勝手であろうと思う。いつも夢見ている「ここではないどこかへ」いくことは、結局、多分、できないのだろう。けれど、「自分ではない誰か」に、今僕は向かうことが出来ている。そこには自分だけの夢想世界を作り上げることに苦心した自慰行為のような想像力が大いに働くことになる。世間からは身勝手と言われようと、異性とは決して理解しあえないというのなら、想像力の中で、「自分ではない誰か」を、「好きだ」という名の下に転がして、恋とでも呼ぶべきものを膨らませていきたい。そして精一杯恋をしたい。自分なりのやり方で、できる限り真摯に。

 自分の胸の中の最も深いところにある重みが取れたような気がした。恋というものに世間が与える評価の所為で、恋という恥ずかしくなるような漢字を酷く疎んでいたのかもしれない。けれどそれは蓋を開けてみれば、自分が普段部屋の中で一人行っていたことを、外の世界に繋げる唯一の糸だった。

 臨海公園駅に着いた頃には、空はかすかに白み始めていた。線路の向こうに回ると、遠くには海が見えて、僕は今更ながら自分の足が酷く疲れていることを知る。さて、ここからどう行けば良いのだろう。そう思った時だった。背中に乗っていた少女がすり抜けるように僕から離れ、無言で頭をさげると、音もなく走り去っていった。

 …ああ、ここまでで大丈夫だったんだ。走っていく先を見遣る。彼女はしっかりとした走り方で海の方へ向かっていく。多分帰る場所がそこにあるのだろう。僕はもう、ここまでなのだ。

 大きく息をした。果たして何かが変わったのだろうか。もう一度、彼女に出会えるのだろうか。僕は何か、深浦さんの為になるようなことをしたのだろうか。

 それはいくら考えてもわからないことなのだろうけれど、何処かへいきたいと願った夜に自分がそこへ向かったことを少し誇らしく思った。僕は深浦さんの住む町まで、想像力を絶やすことなく辿り着いたのだ。もうあとは、彼女を待とう。僕はゆっくりとその場所を後にした。

 

 朝が来る。学校が始まるまでにはまだ時間がある。僕は朝食を食べていないし、なんなら眠ってもいない。沢山のことをしていないけれど、どうしても僕は、このまま学校で朝の退屈なホームルームを迎えたい。彼女をそこで待つ必要がある。彼女が学校に来ると信じることを、他ならぬ自分の為に、続けなければならない。

 鋭く差し込んでくる朝日から逃げるように、駅前のマクドナルドに入った。

 学校が始まるまでにはまだ時間があった。