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タルイのはてなブログ

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Here Comes The Sun and I Say 10

第10章 深浦:長い長い夜が来る

 

 自転車を引く陣野くんの後ろに、はぐれないように付いていく。「げんきー?」と能天気に聞く彼の顔に映る、昔と少しも変わらない純粋な活力は眩しく私の姿を照らす。

「学校?めちゃくちゃ楽しいよ」彼の声は常に何らかの芯を持った、強い肯定力の塊だ。

「どうして陣野くんは絵を描いているの?映画を撮ったり、漫画を描いたりしているの?」

「楽しいし」

「楽しいし?」

「面白いし」

「面白いし。」

「やらないといけない気がする」

「…やらないといけない気がする。」私は彼の台詞に少しだけ満足する。ずっと名前を忘れていた小学校の同級生の名前を思い出したようなすっきりとした気持ちになる。

「僕がやらなくて、誰がやるんだと、そう思ってしまう」

 多分彼は、まだつまずいたことが無いのだ。自分以上の圧倒的な何かを、目撃したことが無いのだ。いや、あるのかもしれないけれど、自分が本当に取るに足りない人物だと、認識したことがないのだろう。少なくとも私にはそう見えた。それは、気付いたから偉い、とか、そういった類のものではなくて、誰かが指摘してあげれば治るようなものでもなくて、ただ彼は少し強すぎて、彼が何処までもいけるということを信じてしまう周りの目がまだ確かにあるというだけなのだ。「才能」とでもいうべきものが。

 私はもう、自分がやらなければ、という使命感をなくしてしまった。しかるべき順序を経て、成長という名の下に根拠の無い「自信」を失ってしまった。夢が段々と形を変えていくみたいに。遠く輝いていたものが近くに行くと全く違ったように見えるみたいに。

 「まあ、僕はそう思っているという、それだけの話だけれどね」と陣野くんは付け足した。私のことを慮っているのだろう。それは随分と不器用で、ほんの少し可愛らしい。

「多分いずれはこのままじゃいられないんだと思う。けれど少なくとも今は、まだそういう気持ちのままで、先へ進めている。」

 河川敷に腰を下ろした。世界は緩やかに夜へ向かう準備を整えようとしている。私はぼんやりと中学時代を思い出す。たった数年前のことなのに、今との違いを切実に感じながら、思い出す。こちらが気を使わずにいることを許される空間を、彼は作ろうと苦心してくれていた。私はその気になれば今すぐに、そこに甘えるようにして、寄りかかることができるのだ。

 けれど、と思う。けれど私もまた、彼と同じように、「誰かに何かを届ける」ことに苦心している一人の人間なのだ。彼とは違う、人間なのだ。好きなアーティストと価値観を共鳴させようとする狂信的なファンみたいに、自分をなくして誰かに寄りかかることは、私はしてはいけないはずだ。少なくとも今は、そんな簡単に、だれかに助けを求めてはいけないはずだ。

 私は陣野くんの優しさを受け取ることを拒みたくはないし、心のある部分では、彼のことを本当に必要としているのだろう。けれど、私は私一人で、この心に波打つ問題に立ち向かう必要がある。多分、誰かの価値観に甘えるようにして逃げては行けない類の問題だ。しかるべき時間をかけて、耐えなければいけないものだ。

「今日は会ってくれてありがとう」と私が言うと、陣野くんは力強く微笑む。

「大丈夫なのか?」

「うん。大丈夫」

「ふーちゃんはさ、少し、生真面目すぎるんだよ」

「…そうかもしれないね」今の私には、陣野くんはまるで、輝きの強い太陽みたいに思えてしまう。体を温めてくれるには少し暖かすぎて、私が向き合うべき闇までも、光の中に溶かしてしまいそうに思う。

「やっぱり、歩こうか」

「…うん」陣野くんはまだ何かを言いたそうだ。きっと自分なら目の前の女子を救えるだろうと、半ば本気で思っているのだろう。彼はまだ、つまずいたことがないのだ。

 太陽があっという間に落ちていく。陣野くんの元気な声は一向に衰えを見せず、私は彼につられて笑いながらも、体内の闇を隠すのに少し疲れてしまう。いつもふざけてばかりいるけれど、きっとこの太陽に、沢山の女の子が傷を癒されているのだろう。彼は大層な人気者で、だからこそ、まだこんな眩しさを持って生きていられる。

 陣野くん、わざわざありがとうね。心の中でつぶやくと少しだけ気温が下がったようで、見上げると太陽がちょうど沈み終えるところだった。駅まではあともう少しで、私は自分の街へ帰ることになる。潮の匂いのするあの街に帰る頃には、空はすっかり暗くなっていることだろう。星も出ているかもしれない。私は陣野くんに気づかれない程度にゆっくりと息を吸う。

 長い長い夜が来る。