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L'après-midi d'un faune

タルイのブログです

Here Comes The Sun and I Say 5

第5章 京谷:「いてくれたらいいな」という、その程度のもので

 雪解けを告げるような朝日が差し込む。よく冷えた学校までの道のりは、未だ溶けきっていない脳みそを使って仮初めの「今日も1日頑張ろう」を作るための時間で、学校についてしまえばいつも「今日もまたやり過ごそう」とそんな諦観が身を包んだ。仲の良い人間がいないといえば嘘になるし、いくら控えめに言っても、いじめられているとか、極端に仲間はずれにされているということではない。最低限の社交性をそれなりの迎合主義を持ちながら、それでも一人でもうどこかへ行ってしまたいたいと毎日のように思うのだ。他愛のない日常を今日もまた、そんな風にやりすごす。

 チャイムの五分前に席に着くと、今日も深浦さんは来ていなかった。ぼんやりと授業をやりすごす僕の隣で、姿勢良くノートを取り続ける彼女が二日も姿を見せないのは、同じクラスになって初めてのことである。

 毎日彼女が「おはよう」と僕に言ってくれたことを今更のように思い出す。「おはよう」と僕はさも普通そうに返すのだけれど、学校へ着くまで口を開くことのない僕にとってそれはいくらか意識的な行為だった。その一言の会話は、今思えば、重要な一瞬間だったように思う。人間的なやりとりがそこにはあった。決して慣習的になることなく、いつもそれが初めてとでもいうかのように「おはよう」と言い交わすことに、僕は意外なほどの感情を感じていたのかもしれない。

 彼女がこのままずっと来なかったら…と考えると、それは思った以上に悲しい出来事だった。あの「おはよう」と言い合い、お互いを確かめ合うような僅かなひと時を、僕は心のどこかで、ここまで嬉しく思っていたのか。

 深浦さんがヴァイオリンを弾く姿を、一度だけ見たことがあった。コンクールの受賞記念コンサートに、たまたま行ってみたのである。たまたま知って、たまたま時間があって…と、たまたまの積み重ねでホールへ向かうと、そこには、他者といることを徹底的に拒むような、鋭い目つきをした深浦さんが舞台に一人立っていて、僕は確かな尊敬とでもいうべきものを感じた記憶がある。一人を好むだけの自分とは違い、一人でしか許されない世界に挑んでいる彼女の姿に、本物の「孤独」をみたのである。

 彼女の身に何があったのだろう。もしかして、もう学校に来ないのではないだろうか。茫漠とした不安が胸をつき、逃げるように窓の外を見ると、雲ひとつない青が今日も澄み渡っている。

 どうやら僕は彼女に、自然な好意を抱いているようだった。自分の持つその深浦さんへの想いは、死と引き換えにでも成し遂げたいような大層な愛であるとは到底言えなかったし、思いを馳せれば頰が赤くなるような恋とも多分違うもので、もっと積極的に肯定したくなるような「いてくれたらいいな」という、その程度のもので。

 それでも、と僕は思う。その僅かな気付きはこれからの毎日を、少しでも、起伏のあるものにしてくれるはずだ。学校と居場所が、「退屈」以外の何かを、垣間見せてくれるはずだ。また学校に来てくれさえすれば、もう一度、「おはよう」と言い合えれば。

 そういえば、昨日公園にいた彼女は深浦さんに似ていたな。僕はぼんやりと思い出した。年齢も髪型も違ったけれど、二人は何かしらの場所でつながっていた者同士のように思えた。面影とでも呼ぶべき何かが二人の姿に呼応し合う。

 チャイムが鳴った。気づくと無口な英語教師が淡々と黒板を消しているところだった。頭の中にぐるぐると転がす何かを持っていれば、気付く間もなく、「退屈」は通り過ぎていく。