読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Here Comes The Sun and I Say

タルイのブログです

Here Comes The Sun and I Say 1

 第1章 京谷:家に帰るにはいつも橋を渡る必要があった

 

 …どこへでもいけるような気がしていた。知らない名前の駅を降りて、見たこともない街まで。ずっとぼんやりと描いていた自由が其処にはあって、様々な秩序を超えたその場所で、自由気ままに歩く。そんな日がいつか来るのだろうと、ずっとそう、思っていた。

 

 今日もまたマンネリ化したホーム・ルームが終わると、四散する男女に混じって、すり抜けるように教室を出る。教室に残るのは、面倒だと主張したくてたまらないような素振りをする掃除当番の人たちで、彼らはいかにも不服そうに役割分担をジャンケンで決めながら、それでもいくらか楽しそうに当番をこなしているように見えた。彼らは終わりの見えてきた高校生活を、表面上は気怠そうにしながら、けれど皆同じように、惜しんでいた。黒板の、卒業まであと「 」日と書かれた場所がまた一つ数を幼くする。徐々にその数字には使われる色が多くなり、ありったけのチョークの色で豪華に飾られていくのだろう。

 学校にはそれなりの人数がいるはずで、彼らは各々部活動に向かったり、図書館へ勉強しに行ったり、或いは自分と同じように、ぼんやりとただ、家路に向かったりするのだろう。僕はその中の一人でしかなくて、空を飛ぶ鳥からすれば、僕とその他の区別なんて、毛ほどもありはしない。ただ、面白いくらいにそんな風に客観的に自分を認識することができずに、今日もひどく主観的に帰り道を歩いた。イヤホンにはドビュッシーの《牧神の午後への前奏曲》を流す。はっきりとした形象を持たずに揺蕩う透明な音の群から、すべての現実的秩序が緩んだ空間に訪れる素敵としか形容できない何かを、僕は微かに、しかし確かに感じることができた。

 

 学校は嫌いではなかった。寧ろ好きと言っていいと思う。授業は決してつまらなくないし、僕はそれなりの友人関係を築き、そのうちの一人か二人に関しては、人生で出会えてよかったと言えそうなくらいの間柄になった。それは素直に幸運なことだったと思う。

 しかし何かしらの違和感がどうしても離れなかった。「自分の居場所はここではない」という違和感。はっきりと、どこの国に行きたいだとか、どんな時代にタイムスリップしたいとは言えないけれど、それでも「ここではないな」という違和感は、どれだけ遠ざけても、ぬぐいきれないものだった。

 気づけば、はっきりとした違和感の解決法を見つけられないまま高等学校に所属して二年半が経っている。義務教育ではないとわかっていても、名付け難い強制力にやられて、今日もまた、学校へ通う。「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問を受けてたじろいでしまう大人と同じように、「なぜ高校に行っているのか」という問いに対して、僕は答えられるのだろうか。

 

 電車を待つまばらな人影の向こうに、落ちかかった太陽が今日最後の輝きをみせている。水のように透明な空に、薄い橙色がゆっくりと染み込んでいく。ホームからは開放的な臨海公園が見え、犬を散歩させる年老いた夫婦がのんびりと平日の夕方を過ごしている。潮風が微かに運ぶ海の匂い。同時に、イヤホンから流れる夢想的な音楽が名づけがたい何かの枠組みを超えたような展開を見せ、五感の全てが透明に彩られたような、変なメランコリーが襲ってくる。今反対側のホームで電車を待てば、或いは、知らない街へ、いつも夢見ている美しい世界に行けるもかもしれないと、そんなことを思う。しかしいつだって、そんな勇気はないのだ。いつだって、思うだけだった。時刻表に合わせて僕の街へ向かう電車は停まり、ドアは自動的に開かれ、吸い込まれるように3号車に乗り込む。できるだけ端に近い席に腰を下ろして文庫本を開く。それだけだ。

 

 家に帰るにはいつも橋を渡る必要があった。海を目前に控えた隅田川に堂々とかかるその大きな橋には、大型車の無遠慮に地面を高速ですり減らすような摩擦音がいつだって騒がしく響いている。潮風はそれに煽られて爆速で吹き去っていき、僕は毎日のように、置いて行かれるような気持ちになる。

 日没までにはまだ少し時間があった。中の島公園へ向かう。中の島公園はその名の通り橋の真ん中あたりにひょっこりと位置する小さな公園で、目立った遊具もなく、子供達の騒ぎ声もなく、ただ静かに運河にその身を横たえていた。潮の満ち引きによって様々な場所が浸水してしまうこの公園は、四方を海に囲まれていて心地がいい。僕は特に用事の無い限り、その公園で日が暮れるまで本を読んだ。ドビュッシーの流れるイヤホンを外し、穏やかかつ野生的な潮騒の中で異国の本を読む。ここではないどこかで、自分にどこか似ている人物が事件に巻き込まれ、それなりに苦しみ、そしてなんらかの解決をみて、生きて行く。死んでしまうときもある。ただそれがどんな結末を迎えようとも(多くの小説にとって結末は案外些細なものだ)どれほど自分の住む世界と遠ざかったフィクションの中の出来事だとしても、自らの構成要素のうち一つでも物語の中に通ずるものを見つけることができれば、文字で綴られた物語世界にのめりこむことができた。自分に関係のある物語として、主観的にページをめくることができた。

 その日は珍しく先客がいた。いつも座るベンチにひとりの女の子がだらりと腰をおろして、さして興味もなさそうに足をぶらぶらとさせ、その振幅運動を見つめていた。小学6年生か、中学1年生といったところだろう。彼女の顔には何か引っかかるものがあった。街中で見かけたのか、或いはよく知っている誰かと似ているのか。しかし記憶を巡れば巡るほど、なんだかそれは只の気のせいのように思えて、彼女のメランコリーを邪魔しないように遠く離れたベンチに座る。少女は灰色のワンピースに身を包み、心なしか元気のなさそうに、のんびりと揺れ動く自らの足をいつまでも眺めている。

 僕は大人しく読書を始めた。日没までにはまだ時間があった。