フクラム国

タルイのブログです

Section5 景色 諦観 最後の信頼(2)

2.

 私は、あまり人を信用しない性質で、自分のそんな性格を決して否定するつもりはないけれど、困ったことに自分のことすら、何かと信用していない節があった。そりゃ自分が完璧に信用できる人生なんてあるとは思わない。しかし、何かいつも、一歩を躊躇し、おざなりにしてしまう。例えば小学生の頃に学芸会の主役を決める時があって、自分では全力の練習をしたと言いながら、やはりどこか、クラスの空気なんかを気にしてしまって、いざオーディションの際に控えめに演じて隣の女の子に取られてしまったことがあった。例えば高校を受験する際に、結局は倍率を恐れて推薦の取れる安全な高校を選んだことがあった。

 それはすごく些細な諦めだったのかもしれない。けれどそうした一つ一つの選択が、絶対に今の私を作っている。結果として厳然たる事実が私の前には横たわっていて、それは、今の私が、私から見ても信用のできないちっぽけな人間だということだった。

 多分、中途半端な顔の出来が更に私を守ると同時に偽るのに一役買っている。私の顔は工夫次第でそれなりにかわいく見える。それなりに振る舞う術も知っていて、生活は自分の富を信じなくても、自分の弱さに向き合わなくても上手く回っていく。

 何か手の届くかわからないような場所、普通に考えたら手が届かないようなところを目指す意思は昔からあった。そこに価値を感じてもいた。けれどいつも何か、どうしようもない暗黙の了解、みたいなものに阻まれて、諭されて、一歩を踏み出せずにいつも諦める。そうしてしまえば本当に楽なのだ。身の引き方は心得ていて、私はそれが上手い。

 結局はこんな風に終わっていくんだ。当初望んだものとは違うけれど、まあ、最後までしっかりやろう、と、標準をそこに合わせて、終わらせていく。なんらかの運で手が届いてしまった、だとか、そんなことはまるでなく、いつも私は無風の大地で足を止める一人の女の子でしかない。

 

 ただ、私は歌が好きで、それも多分どうしようもないくらい好きで、なぜ好きかといえば、それは伝えるという行為に、自分の富が、生きている意味があるのではないかと、自分の将来生きる場所があるのではないかと、多分、心のどこかで思っているからだ。

 もう一度、自分の力を信じてもいいかもしれない。ギターを開けば、心の少なくとも3割がそんなことを考えている。何か特定のことに没頭するのは苦手ではなかったけれど、自分の知らない領域まで追い込まれていく自分は滑稽なくらい弱虫で、そんな姿をメンバーに見せるのは恥ずかしかった。それでもバンド全体に流れる異様な熱気にそれは上手く乗って、かつてないほどに滔々と毎日は加速していった。

 もしかしたら、変われるかもしれないと、そしてこれが変わる可能性のある、最後の機会なのかもしれないと、そんな風に思い続けた、馬鹿真面目な三週間だった。