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Here Comes The Sun and I Say

タルイのブログです

Section4 塾 嘘 深海の富(1)

海と夜がつながる場所で

1.

「先生、私どこの大学に行けるんですか?」

「どこへだって行けるよ」

「でた、頭いい人はちがうなあ、ほいほい」

「行きたい場所は?」

「うーん、特にはないけれど」

「けれど?」

「普通のところには行きたくないかなあ」

「そうだね。向いてないからね」

「え、なんですかそれ、褒めてるんですか?」

「いや全く」

「はーい勉強します」

「よろしい」

 ミズキには最近言うことを言うようにしている。嘘をつかないようにしている。それは彼女が、世間に思われているよりも断然頭が良く、そして自身が思っているよりは少し弱い人間だという事実に、きちんと対応したいと思い始めたからだ。勿論そんなのは余計なお世話なのだけれど、それでも無神経な言葉を飛ばして何が起きるかといえば、価値のあるやりとりを失ってしまうという、唯々むなしいことだけだろう。

 

 彼女が大学に行く価値とはなんだろう。勉強する価値とはなんだろう。何故そんな無理をして、大学なんて場所へ行きたいと望むのだろう。彼女は望んでいるのだろうか。波に流されてはいないだろうか。彼女の人間味が極端に失われていくのを、僕は机の向かいに見ていかなくてはならないのだろうか。

 

「先生、いつも何してるんですか?」

ふと、彼女がそんなことを聞いてくる。

「何って、ぼうっとしているよ」

「嘘じゃん。雰囲気がそういうのじゃないよ」彼女は今日ばかりは、何か大切なものを抱えているようで、きちんと、人間としての会話がしたいらしかった。

「僕は、普段は物書きをしている」

「物書き?小説家?」

「うん。そんなようなところだ」

「へえ、なんで」

「人に伝えるために」

「伝える。何をですか」

「色々だね。」

「一番は?いいから教えて下さい。可愛い教え子の人生相談だと思って。」

思って、というか、そうだろう。

「生きていて良かったかもしれない、ということだろうか」

「生きていちゃ悪いんですか?」

「僕は、人は生まれてこないに越したことはないと、いつも思っているよ」

「わかる気がします」

「でも、誰かが、生きていて良かったかもしれない、という嘘を、伝える必要があると思うんだよね。人間は死ぬべきだと、気がついてしまった人が。」

「先生、私が何を言いたいか分かりますか?」

「なんだい」

「先生と呼んだ人間から、初めて何か学んだ気がします」

「それは中々に失礼じゃないか、僕以外の先生に」

「私、バンドをしているんですよ」

 彼女の左手に、ヴァイオリンでは考えられないような分厚い皮ができていることを、僕は知っていた。

「うん。」

「今度のライブ、ぜひ来てください」

「いつ?」

彼女はチラシを持ってきた。

「丁度この時間じゃん」

「はい。私休むんで先生ここ来る意味ないので来てください」

「なんじゃらほい」

「じゃ、勉強に戻ります」

 

 彼女は投げやりに僕を置いていく。僕はたくさんではないけれど、こういう感覚を幾度か味わったことがある。

 自分の言葉が、人に思った以上に作用して、その人の内面がポロリと落ちてしまう瞬間。もうこの人ならいいのかもしれないと、心を開いてしまう瞬間。そして自分のことで頭がいっぱいになって、僕を置いて自分だけの世界へ行ってしまう瞬間。そういった言葉を紡ぐのは、決して小賢しさだとかそういったものではなくて、人間とは本来そうやって、人間のままで、裸のままで言葉を交わすものだという、そういった話で。

 僕の、僕なりの言葉は、彼女にどんな風に伝わって、彼女がどんな言葉を生む際のちょっとしたきっかけになるのだろう。

 僕の言葉のほとんど全てのきっかけが、誰かのものであるのと同じように、彼女の言葉もまた、誰かの、僕の言葉をきっかけに作られていくのかと思うと、なるほど教育という場所にも、何か途方もなく重要な面白さがあるのかもしれないと、また、伝えるという行為の極致なのかもしれないと、そんなことを思ったりした。