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L'après-midi d'un faune

タルイのブログです

Section3 学校 可愛さ RPG(2)

2.

 聖橋口には既に三人が待っていて、私は心底すまないというように「ごめんごめん」と笑う。

「謝れ」と言うリーダーに身を任せて「スンマセンでした」と謝る私を三人は笑って、橋を渡った先のスタジオへと向かう。途中四人でドクターペッパーを買い、5スタジオに入り、淡々とマーシャルにシールドを繋げば、「じゃ、やろうか」とAのコードから、その日の合わせも始まっていった。

 

 高校一年生になった頃、途端に世界がつまらなく見える時期になって、歌を歌うことに変に没頭したことがあった。ギターは親のおかげで小さな頃から家にあって、なんだかんだ定期的に触っていたから、Fのコードに困ることはもうなくなっていたし、知っている限りの曲を、ギターを掲げて歌い続けることができた。

 毎日帰ってすぐ財布からピックを取り出して、好きな曲を自分の血液の中に入れていく過程の中、声の出し方に始まって、フレーズのつながりだとか、可愛さの見せ方だとかが少しずつ見えていき、歌もまたそんな風にして、なんとなく上手くなっていった。多分、世界が安直な場所になりすぎていることを恐れていたのだと思う。こんなちっぽけで低級な世界に住んでいたのか、と変に悟ってしまって、どうにかして価値のあるものを自分が持っていたいと、縋るように歌い続けていたのだろう。いつだって、二年くらいの時が経てば、いつもあの頃の自分は素直だったんだなあ、と感じる。衝動に忠実だったなあと変に恥ずかしくなったりする。もしかしたら、今日の私も二年後になったら、素直だったと笑えるのだろうか。

 歌を歌うことの衝動は、日に日に高くなってしまって、河川敷でそれなりの声量で歌っている私をメンバーが見つけてくれたのは、高校一年生の秋のことだった。

 

 私たちはまあまあな頻度で、それなりの曲を歌っては、それなりの身内を携えてライブをこなしている。ステージの上で歌うことは、少なくともその日ばかりは本当に楽しい。耳を壊すようなサウンドが舞台上ではとてもクリアに聞こえて、私が歌っているということを見られているという恥ずかしさと同じくらい、私の品のある可愛さというようなものを、好きにばらまくことができた。

 可愛いなんて、そんな身も蓋もない評価基準を誰が考えたのだろう。可愛い、という評価さえあれば、それなりに生きていける。女の子は誰でも、可愛いに全力を注ぐべきだ。男の子とはまるで違う。彼らは基本的に気持ち悪いという自己評価から始まるから、頭の中のアダルトな妄想だって、惜しげもなく披露できる。女の子は可愛いか否か、から評価が始まるから(それは同性であってもだ)、とにかく頭の中にアダルトな妄想を育てないように無意識化でも努力するし、基本的にそうやって、いろいろなもの包んで、可愛いという表面の肌をできるだけ滑らかに作る。

 私は面白いことに女に生まれて、舞台でどう振る舞うべきか、それなりに分かっている方の女に生まれた。単純に運が良かったと思う一方で、自分が最低だなんて、そんなことは、かけらも思ったことがない。

 

 三週間後に控えたライブで、私たちは活動を休止することになっていた。それはメンバーの仕事が決まったりだとか、或いは私が受験生になるからだとか、言おうと思えばそれなりに沢山の理由が出てくるものだったのだけれど、それ以上に、音楽を伝える、ということを中途半端に行ってきた自分たちの、中途半端に行っているライブハウスへの、虚しさのようなものを、リーダーが感じているからのようだった。

 

 「これでダメだったら辞めよう」午後9時前の、退出を促す点滅ランプの下でリーダーが発したその「辞める」という言葉には、何か、含有するものがあまりにも多くて、ああ、私はどうやらしばらくは、伝えるということついて、真剣に向き合っていかなければいけないらしいと、そう、感じたりする。

 

 帰り道、あれだけの景色を見せた東京は深海の中で街明かりをまるで星みたいに落としている。ごぽごぽ、水中音はヘッドフォンから流れているようで、それでいて電車が海を切り裂く効果音みたいだ。

 電波塔の赤ランプは静かで、ただいまと、言いたくなるくらいに、深海は暖かい。

 吉祥寺で沢山の人が降りる。それから先は眠たいサラリーマンと私だけ。

 ここはRPGの世界みたいだ。誰からの干渉もなく進んでいき、そしていつまでも、私は一人だった。