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Here Comes The Sun and I Say

タルイのブログです

Section2 古本屋 Bach 夜の漂流(2)

海と夜がつながる場所で

2.

 家に帰ればある程度片付いた机に横たわるようにMacが置かれていて、それを開かなければならないと知りながら、それでも逃げるようにヴァイオリンケースに手を伸ばす。

 少し気が荒ぶっている、そんな日は意外といい文章が書けるものだけれど、今日ばかりは、一言でも雑な文字をうち入れることを、極端に避けたい自分がいる。

 音楽を弾く、という行為は、他人に伝えるものだ、という認識が多分にあって、しかしそんな基本的なことをあまりにも忘れやすいのは、それ以外の要素が極端に多いからだ。音楽を成立させるために注意すべき点が、人に伝えてこその音楽だ、ということを忘れさせてしまうほどに、多いからだ。

 

 ボウイングのチェックをして、ずいぶん弾いていなかったことをほんの少し恨みながら、Bachをゆっくりとさらっていく。Bachは深い場所に僕を沈めていく。一人、というものを、孤独と最大限離れた場所へ連れて行ってくれる。

 深い海の中にいるみたいだ。自分の雑な部分だけが、海面に浮き出てくる。だからあまりにも、人に聞かせるという行為が思いつかないくらいに、自分の音楽は汚く、未熟に聞こえて、その海面に出た汚れを、こんなに落ちにくいものかね、と笑いながら、ゆっくりと落としていく。Bachはいつもそんな風にして、自分を落ち着けてくれる。大げさかもしれないけれど、何度救われたことだろう。何度、音楽をやっていて良かったと、甘え以外の逃げ場所があって良かったと、思ったことだろう。

 決して楽しいものではないけれど、この工程を通り過ぎれば、深く落ち着いた気持ちで、決して張り詰めることもなく、ただふつふつとした何かを持ちながらパソコンに向かうことができる。少しだけいい文章を書けるような気がする。

 僕にとって音楽は救い以外の何物でもなくて、だから僕に音楽は向いていなかったのだ。

 

 夜の漂流の中には知らない街への空想を膨らます余白があって、僕一人だけが起きているこの世界は、見ようによっては、夢見ていた知らない街と、形以外の場所で繋がっているように思えた。