Section2 古本屋 Bach 夜の漂流(1)

1.

 一人でいるのは嫌いじゃない。なんだか割と面白くて、その場所は孤独とは何かが違っていている。孤独と一人の違いはなんだ。寂しさの度合いだろうか。でもなんにせよ、ひとりは認識次第で孤独になる。その逆よりも、ずっと簡単に。

 

 吉祥寺には古本屋が、僕の知っている限り5軒あって、そのうち3軒は帰り道にあるから、それなりの頻度で通うことになっている。大人になって、多少まとまったお金が入っても、やっぱり100円コーナーの品揃えに目がいく。100円だったら買っていた、っていう本は大学生の頃から自分の中にコツコツと積み上がっていて、だから奇跡的にそのコーナーの隅に積み上げた一冊を見つけた時には、今も変わらず、嬉々として会計へ持って行ってしまう。その感覚は好きだ。海中の珊瑚が砂浜に上がっているのを見つけたみたいで、僕は砂浜に現れた輝きを慌てて拾っていく。

 古本屋は、世界と繋がる入り口のようなもので、誰かが読み解いた後の、僕の知らない世界を静かに提供してくれる。知らない場所。僕がいていいのかわからない場所。僕のことを限りなく無視してくれるであろう場所。日常とかいう言葉を使うには余りに場違いだと思うような、変化のある毎日。それでいて、優しい空気の漂う場所。

 僕の頭の中にはいつだって知らない街があって、音楽を聴いた時だとか、匂いをかいだ時だとか、風景の中に佇んでいる時に、ふと、そういえば僕の頭にはこんな世界があったんだったと、ぼんやりとした風景が湧き出てくる。いつだって強烈な郷愁が伴って、ああ、僕の本当の故郷はそこにあるんじゃないかって、生まれる前から知っていたんじゃないかって感じる。けれど、いつまでもその場所は、僕にとって知らない街なのだ。知ってしまうことはできずに、それでもずっと、求めている。決して叶うことはない。僕は常に変わっていくのに、街は変わらずそこに佇んでいて、だから、僕と街は遠ざかるばかりだ。

 

 漕ぎだすと車輪は素直に動いた。自転車は軋むことなく前に進む。

 涼しげな風に靡かれて、いつまでも漕いでいたいとよく思うのだけれど、それにしては僕の脚力は本当にわずかなもので、やっぱりすぐに帰ろうと、結局は諦めがちだ。それでも例えば今日なんか、線路沿いを呑気になぞってあの歩道橋まで向かえば、そこにはやはり、郷愁と憂鬱が落ちている。総武線が車庫に入っていく様子を眺めながら、時折ゴトゴトと駆け抜ける中央線快速に橋がわずかに揺れていくのを、なんだかその揺れだけが現実と僕を繋いでいるみたいだと、少し嬉しくなって、安心してしまって、眠気が瞼を触る。

 

 なんでこう、毎日ばかりが積み重なっていくのだろう。孤独という言葉を発するには、余りに不確かで繊細な感情が渦を巻いている気がする。そんなものはただの気の迷いだと、大声をあげて雑に笑える人を生理的に嫌悪する自分もいて。

 僕の知っている世界の至る所が、本当に雑だ。雑で、そのせいで意味のない苦労が、意味のない価値の値下がりが起きている。自分にとっていくらか大切なものを、雑に無神経にこなして、それでどうやって、自分が生きているだなんて、声を大きくして言えるのだろうか。