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L'après-midi d'un faune

タルイのブログです

Section1 吉祥寺 塾 海の底(3)

3.

 何が怖いって、全部変化していくこと。季節も、好みも、人との関係も、止まっていて欲しいと願う間もなく、目まぐるしく変わっていくこと。「まだ、あと少しだけ」「ほんの少し待って」なんて感情が呆気なく季節に飲まれて、置き去りにされてしまうこと。

 そう、だから、ずっとこのままでいれたらいいのに、なんて、不可能な願い事なのだと思う。

 これから私はそれなりの勉強をして、それなりの大学に入り、それなりの変化をしてしまうのだろう。私を包む海水の温度が大人になっていくにつれてどんどん下がっていき、そしていつか、現実と同じ冷たさになる。その瞬間が怖い。

 

 私が一人で息をする場所。深い海の底。一番寂しいけれど悲しくはない、私以外の誰もいない場所。光は人が思っているほど必要ない。光は感情の濃度を薄めるばかりだ。

 

 塾の帰り道におきまりのコースなんてものは無くて、何時だって思うままにこの街を海遊した。ピンク色の看板にお辞儀をして、腰に手を回して歩く下品な面構えにはキャハハと笑う。この街には干渉がない。私だけが魔法使いで、私だけが人魚で、私だけが違う。遠く空を見れば水面がわずかに見える。寂しさがふと膜を張る。

 海星先生は今日もしっかりと教えてくれた。勉強なんて面白くもなんともない、だとか、心の底からそんな言葉を吐きながら、それでも人に教えることが嫌いじゃないのか、勉強の大切さをある程度信じているからなのか、きちんと塾講師らしいことは果たしている。根が真面目なのだろう。私は彼のそんな部分に、今日もなんの気なしに甘えてみたりする。心地がいい。彼の海はまだ暖かいんだ。

 

 ヘッドフォンからは、ゴポゴポと海中音が鳴っている。それが耳に心地よく、また、世界の膜だとか湿度だとか、隠れている欲望だとかを薄く覆い隠してくれている。改札をくぐると何も変わらないはずなのに、徐々に魔法が解けていくような気がする。神経が家に帰る準備をしているのだろうか。

 ホームの上に立つと、吉祥寺そのものが一つの海の底であるかのように、ネオンが波に揺られて印象だけを光らせていた。私は水の音を止める。家に帰るまでに、家の私に戻らないといけない。ただの女の子に戻らないといけない。椎名林檎を用意する。

 私は彼女みたいになりたいとは思わないけれど、それでも、彼女は私よりずっと、女の子だ。

 アコースティックギターの素朴なコードは遠ざかるネオンによく似合う。

「次は 三鷹 三鷹

 ブルブルとスマートフォンが震えた。

 帰ってから開こう。