フクラム国

タルイのブログです

Section1 吉祥寺 塾 海の底(2)

2.

 「分かるものか」ミズキは少しばかりコミカルに、けれども真剣な顔をしてシャーペンを放り出した。少しばかり空間よりもおおきなその声は僕を強引にこの場所に引き戻す。

「落ち着きたまえ」

「落ち着けないたまえ」彼女のそんな即答は、彼女自身のツボに入ることとなり、少しの微笑みをその怒った顔に与えたのだけれど、しかしすぐにそんな自分が嫌になったと見えて、後には感情の放棄だけが残った。

 「この時の主人公の心情として適当なものを一つ選べ」という類の現代文の問いは、度々馬鹿げた問題だ、と叩かれているものではあるけれど、僕はむしろ、おかしさに似た感心を覚えたりする。必勝法もくそもなく、ただ感性に従って選べというのは、他の教科に比べて幾らか乱雑でありながら、皮肉なくらい本質的だ。受験とかいうなんやらよく分からないア〜エを選ぶゲームの中にこんなものをもぐりこませようとは、日本も適当だなあ、と感じると同時に、中途半端だなあとも思うのである。システムに従う脳を求めておきながら、一定数の感性をも必要にする。成る程、うまくできているといえば、確かにそうなのかもしれない。でもア〜エの中には、勿論答えなんてものはなく、強いて答えらしきものがあるとすれば、それは学生たちが個々人の言葉で何気なく綴った文章の中に僅かに見え隠れする機微だけだ。

「先生、私全然この人の気持ちわからないんですが」ミズキは深い嘆息とともに僕に告げる。彼女はこの春で三年生になったらしく、どうやら少しずつ、勉強に精進しなければならいようだ。それは少なくとも僕にとっては、好ましいこととは言えなかった。

「わかって欲しくなさそう」彼女はつぶやくように言った。まるで事件を解決に導く何気なく漏れてしまった一言みたいに。無論僕もそう思うけれど、こう言えば僕が喜ぶだろうな、という憶測の下に動いている彼女の表情には、一筋縄ではいかない女らしさがある。

「僕もできたら解答を見たくない」僕が笑って言うと

「こりゃいよいよダメだ」とミズキも笑った。

「まあ、考えるだけ考えてみよう。消去法で『ウ』から消していこう。こんな風に言われたくないだろうなあ、って選択肢から、消していこうか」

「どんな風だって、自分の気持ちを誰かが四択で選ぶのは嬉しいものかね。カイセイ先生」

「君は嫌なのか」

「うん。結構死ぬほど。」

「よし、じゃあ心を殺したまえ」

「う…今まで…楽しかったよ?…バタッ」

 ミズキはいつからかわからないけれど、こんな風に、塾という場所を自分なりに楽しむことに決めたようだった。おそらく彼女の中で、この場所は日常とは外れたどこか、ということになっていて、一週間に一度訪れる吉祥寺の隅で机に向かう時間は、彼女にとって嫌なものではないらしく、至極気ままな心持ちで授業に臨んでいるように見えた。

 

 口にシャープペンシルを押し当てて眉毛を中央に寄せる。お得意の考えている振り。目元には消しきれていない隈が僅かに黒く滲んでいて、この場所で見る彼女の特殊さを、嫌が応にも思わせた。

 彼女と目があった。黒くて透明な眼球に映る自分の姿がぼんやりとした輪郭で僕を見ている。

「どうしたんですか?」とぼけたように首を傾ける彼女。多分、自分を可愛く見せようとするのが好きなのだ。自分がただ一人の女の子として、この世界で生きているのが好きなのだ。

「先生女性に嫌われるタイプですね」ミズキは突然に笑いながら言う。

「嫌われるほど興味を持たれない」僕が呟くと、

「どんまいだな。」彼女が慰めてくれる。

 

 塾講師のバイトをして何を得たかといえば、こういった他愛のない人付き合いと、思った以上にしっかりとしたお金と、そして、自分の未来に自分で言っているほど興味のない学生たち。言ってしまえば、それくらいだった。