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L'après-midi d'un faune

タルイのブログです

Portal 4-6 Swimming

10.

「親?」

 フラニーが話したのは、生まれた頃の街並みと、自分を常に見守り、育ててくれる、自分を産んだ大人と一緒に過ごしているという、そんな記憶。

「くじらの骨はね」彼女は言う。その白くて小さなかけらは、「自分を産んだ大人」がちょうどこんな海辺でくれたものだということ。

「だって、おかしいと思わない?私たちを産んだ男女にとって、私たちが「愛の結晶」だとするならば、私たちの誰もが自分を産んだ人間を知らないなんて」フラニーは大声で叫ぶ。

「私は少しずつ思い出してきたよ。この街に来る前のこと。私には「親」がいて、毎日は孤独なんてものとかけ離れた場所で回っていた。彼らを、どこに忘れてきたのだろう。何故どこかに、置いてきたのだろう」彼女は幾らか気が動転していて、涙は「流して初めて声が出るのだ」というように、とめどなく流れていた。

「僕らは神から生まれたんだよ」僕は仕方なしに言った。

 酷く苦しそうな顔をするフラニー。

「でも君は、そうなのかもしれない。ここではないどこかで、人間たちの交わりによって生まれたのかもしれない」そう言いながら、しかし僕は「ならばフラニーはなんて悲しい命なんだ」なんてことを思う「べき」なのだろうと感じた。

 思えば、少し考えを飛ばしてみれば、本当に僕は何も知らなかった。覚えている記憶は数年前のものしかなく、僕が言葉もしゃべれない頃、一体どんな風にして育っていったのかなんてことは、気にするまでもないことだと思っていた。何せ僕はここにいて、ということは、さしたる障害もなく今日の日まで育ったのだから。

 フラニーの言っていることは理解するには幾らか突飛なもので、しかし友人の突飛さを切り捨てる為に必要な「常識的な観点」は、自分が誰よりも忌み嫌い、憎んで来た大人の形でもあったから、彼女のいうことについて、少し考えてみた。

 

 もしかしたら、僕にも親という存在がいるのかもしれない。おそらく、この街のどこかに。

 

「私、元いた場所に帰らないといけない気がする」

「え?」

「帰るの。この街を出ないといけない」

 フラニーは音もなく苦しそうに、体重を預けるようにして、僕の方に寄りかかる。

 彼女の体躯は確かな重みを持っていて、今にも溢れ出しそうな星空と、落ち着きを持つ波の音だけが、交互に五感に届いた。潮風に乗った髪の匂いは意識をさらうようにして、彼女の存在そのものも、僕らの夏そのものも、彼方の方に、消え行きてしまいそうだった。

「フラニーも、いなくなるのか」

「うん。会いに行かないと。多分みんな心配してる」彼女は何か諦めたような確信を持って、揺蕩う夏の最後を、僕のそばで味わっていた。

 徐々に落ち着きを取り戻した彼女は、頰の雫をゆっくりとぬぐって、ただ落ちていく星々を眺めている。ゴルゴダの丘の遠足が、やけに尊い記憶となって、暖かく思い出された。すぐにでも消えてしまいそうな思い出を、必死でかき分けるように追い求めると、徐々に記憶の断片が蘇り、其れ等はどれも輝いて見えた。

 泣き疲れたのだろう。フラニーの寝息が聞こえる。僕はとめどなく流れる「もう戻れないのだ」という感慨の納どころをわからずにいた。

 ただ、決して忘れたくはなかったのだ。もう決して戻れないと、はっきりとわかっていても。

 

 最後の夏が終わると、一瞬の秋は音もなく過ぎ去り、そして止めどなく、僕らの街は崩れ落ちていくことになった。……

(了)