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タルイのはてなブログ

タルイのブログです

Portal 2-1 Kite

1.
 川肌に夏が反射した。頰に突き刺さり、思いの外鋭く、僕を眩しがらせた。セミが、カエルが、最もやかましく響き合う、青空の、海の、向日葵の季節が、今年度もやってきた。
 堂々とした太陽は、全生命をかなり絶妙な加減で照らしてくれているのだけれど、しかし僕の方はというと、その配慮に全くといっていいほど無関心だ。
 価値のある事実はこれだ。夏休みになった。学校には誰もいない。行く義務がない。散歩をする時間が増えた。外は暑いが、室内よりはずっと、いろいろなものが落っこちている。夏は思考が進む。
 イワンは、夏が嫌いではなかった。
 
 散歩の嫌いな人間のことがよく分からない。考え事は、貧乏ゆすりをしながらペンを走らせるか、風呂に入るか、歩くか、ベンチで一休みするかしないと出来ない。知り合いは周りにいない方がいい。いても気にしないけれど、知り合いがこちらを気遣う感触は肌にベタベタと張り付いて、あまり心地の良いものではない。
 ペンを走らせる。思考の初期段階はそれでいい。頭の中に雑然と置かれた思考のピースを外に放出することで、果たして自分がどれだけのピースを所持しているかが明らかになり、思いもよらぬ繋がりが、立ち現れてくる。ただそれは初期段階の話だ。ある程度の展望が見えた思考は、もう一度丁寧にかみ砕かないといけない。そして再び雑然としたものを組み立てる際には、ペンと紙の必要性などなくなっている。もう一通り繋がりは見えているからだ。故にペンを使うのは、あまり噛み砕いていないものに限る。次の方法、風呂。これは素晴らしい手段だが、いかんせん時間帯が限られている。まさか一日中風呂に入っているわけにはいかないし、もし一日中風呂に入れたとしても、その空間が普通なものとなってしまった時点で、もう何も生まれないだろう。
 だからまずは外に出るのだ。スニーカーを履いて、淡々と街を歩くのだ。人がいなくて、水に近いところを選んで。
 僕は毎日何かしらを考えているが、実はその答えを既に知っている。言うなれば、その思考については、一旦は噛み砕いているのだ、というような感慨が常にある。だから僕にはペンで書くという行為は無意味なものに思えるし、僕がやっているのはいつも、想定される答えを知りながら、その道程を違う衣服で、違う日にもう一度辿って、「やっぱそうか」と確認する作業のようなものだ。それでも何もしないよりはずっといい。忘れていることもあるし、たまに道と道が繋がって、一つの結論にたどり着くとこともある。
 
 河川敷には、それなりに清らかな水が、清々しい流水音を立てている。蝉の忙しない声にかき消されながら、控えめに存在を告げている。水色のトンボが突き出た竹枝に羽を休ませて、ぼうっと物思いに耽っている。ほんの少し足を止めてみる。
 君は沢山の目を持っていて、僕は目を二つしか持たない。そのおかげで僕は幾らか楽に道を進むことができる。その代わり、君は僕の何倍も細かい点滅に反応できるらしいね。君の体は細い。僕も人間の方では細いと言われる。診断書には決まって痩せ気味と書かれる。君は僕に潰されてしまうくらい細い。けれど、僕は君を潰すことがおそらくできない。君には羽があって、僕には羽がないからだ。
 (続)