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タルイのはてなブログ

タルイのブログです

Portal 1-3 さよならフロンティア

3.

 雨はその丘へ、染み入るように降り始めていた。降らせていいものかと何者かが躊躇したようにまばらだったそれは、急速に陰鬱な影を落とした雨雲たちによって確信を得たのか、僅かな間にはっきりとした音を立てる。隣でぼうっと立ちすくむイワンをぼんやりと見ていた僕は、頭の中で屋根のある場所をうつらうつら探し始めた。この辺りにそれは一箇所しかなく、そこに向かうとすれば、偶然と言うべきか、或いはやはりと言うべきか、イチイの木と、海と、向日葵畑のある丘の反対側に行くことになった。イワンが退屈そうに空を見上げると、それを合図に雨足は最高調に達した。イワンの横顔は、冷たい粒に耐えているようにもみえ、また何も感じていないようにも察せられたが、しかしいずれにせよ、変に常識的な感情が巡る頭の中で、ああ、雨に濡れるのはよくないことだから何処かで雨宿りをしないと、と結論付けた僕は、今しがた思い当たった目的地に向かうために、幾らか大きな声で彼を呼んだ。彼は無言でそれに従った…。

 

 イチイの木から少し離れた場所に古ぼけた観光バスが立ちすくんでいる。ところどころ錆びてしまっているが、燃料さえあれば動き出せるんだ私は、という意志を感じさせる位にはその形を保っていた。かくれんぼでは定番の場所で、使われる頻度があまりにも多かったから、最も見つかりやすい場所として、小学校高学年くらいになると意識的に避けられる場所になっていた。僕がイワンを連れてそこへ転がり込もうと思い当たってから、既に暫くが経っていた。意味もなく散歩した分だけ、目的地は遠のいていて、加えて誰1人としてクラスメイトは残っていなかったから、遠近感覚は比較物のない丘を捉え損ね、ゆえに目的地の廃車までは、何処までもあるような気がした。そして雨はいつものように、「このままずっとこうだったらどうしよう」という幾らか悲観的な感慨を僕に与えた。

 

4. 

 心地よい雨粒の打撃音とともに車窓は白く曇り、車内を極端に閉じたものにしていた。ポタ、ポタと、前髪からしたる水滴は心なしか大きく響き、僕らは暫く何処に座る事もできず、何を交わすでもなく、ただ手すりにつかまって、直立していた。急速に変化した環境が居場所を与えてくれるまでには、決まって、言いようの無い緊張感と違和感が佇むものである。

 

「びっしょりだね」ふと、声がした。

 

「…ああ、リリー」イワンが穏やかに答えた。死に場所を見つけたような安心感のある声をして。

「大変だったね」リリーのその声は透き通っていて、それでいて無邪気な所もあり、この閉じた世界の中で、 唯一の色を持っているかのようだった。後部座席に座るリリーは亜麻色の髪をポニーテールにして、ハガキサイズのクロッキー帳を片手に、微笑みながらこちらを見ていた。

「今動けないの」

「どうして?」

「こっちきて。」

 動き出すイワンをみて、場に立ち込めていた緊張感の強い弛緩を感じた僕は、ガラ空きの優先席に座って目を瞑った。目を瞑ると冷却した体温は敏感に僕の神経を撫でてきたが、しかしそれに意識を向けなければ、割と気持ちがよかった。

「ヘンリー、ほら」イワンの声がする。

「ん?」僕はのろまに反応する

「フラニーが寝てるよ、ほら」

 僕は後部座席へと向かった。

「ね?動けないでしょ?」

 過剰にカチコチと固まった声を出したリリーの膝元に、すやすやと肌の白い女子が眠っていた。幾度かみた横顔とは何もかもが異なっていて、僕はぼんやりと、そうか、こんなに綺麗な人だったんだ。と、感じながら、「ほんとだ」と呟いた。自分でも驚くほどに静かな声が出て、それがまた好ましく、この空間の沈み込んだ落ち着きになにかしら幻想的な雰囲気を感じた僕は、リリーと、イワンの顔を同意を求めるように眺めた。そして、ああ、この感情は、「今更ながら」なものだったんだと気が付いた。閉じた世界には、雨音が安穏の代償としてザーザーと響き、言うまでもない数々の法律が、幻想のための暗黙の了解として流れていた…。(続)