虚構に宿る体温こそが

 桃色の憂鬱が空に膜を作っている。陽光が雰囲気に浄化したみたいだ。女は笑って、あの頃もこんな感じでしたねと、裸足で帰路を駆けていく。

 背後から追いかけてくる何かしらの暗闇は、いつか確実に僕らを捉えて、吸い込み、不器用でも尊い存在の束を世界から蒸発させるのだろう。やがて女は何物かに変化して、循環し、何もかもを忘れてしまうのだろう。

 もうすぐあたりが暗くなる。優しさへの道しるべは消えていき、代わりに乗り越えるべき夜だけがそこに展開される。

 自然と歩みが遅くなる。足に石の当たる感覚がやけに鈍くなっていく。

「桃色の憂鬱が空に膜を作っている」

ふと口ずさんで気付く。僕が生み出してきた世界が全部、都合の良い嘘の蓄積であること。ただ僕のためだけの嘘であること。

「何故君は、そんな嘘をつくの」

生きられないからだ。多分。少し気持ちがいいからだ。多分。暗闇が見えなくなるからだ。多分。

「格好だけの偽物じゃない」

女は笑って、僕の耳元でそう口ずさんで、裸足で帰路を駆けていく。

僕は追うことができない。全身がやがて紅潮して存在は矮小になり、桃色の憂鬱は姿を消し、世界はべりべりとひと昔見たような景色をみせる。

やっぱ結局はそんな感じなんだよね。面白くもない、夢もない、けれどひどく真実めいた、君と僕の姿がぼんやりと見えた。

なんだやり過ごすには、やっぱり余りにつまらないじゃないか。

僕はもぐもぐと口をすぼめて

「ぺっ」

と大粒の唾を飛ばす。周りは露骨に僕を嫌悪する。

できるだけ気にしないようにして、昔のことを思い出す。暫くして心なしか暖かくなってきた頃にまた目を開ければ、ほら、嘘の中で夢見た世界が佇んでいる。桃色の憂鬱が君と僕を連れていく。僕は君に「好きだ」と言う。

本物がどこかへ消えてしまう。代わりに僕には、桃色の憂鬱がある。