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タルイのはてなブログ

タルイのブログです

僕のペコ

  音楽は記憶としての残留力が高いように思う。もう「音楽は」とか、そういったふわふわした言葉を何の違和感なしに使えるほど音楽に対しての思索の時間がないわけではなくなってきたが、それでも音楽は経験として残りやすいと、ひとまず定義したい。音楽は記憶を閉じ込める空間を内包している。やはり僕は小田和正を聴くと父親のギターを思い出すし、ブラームスの一番にはまだ楽譜も読めなかったあの頃の、女ばかりの部活動に通う恥ずかしさが多少なりとも内包されている。それが音楽の最大の力であるだとか、そんな事は言わないけれど、個人史を形作る諸要素の、いくらか重要なものの一つとして、多分少なくない人々が、音楽を位置付けていると思う。

 

 僕には友人がいる。小学校から今の今まで、僕がヒーローだと信じ続けている、そんな奴がいる。背丈が僕よりあり、僕より圧倒的に頭の回転が速い。そして何より、僕よりも、世界を捉えるのがずっと早かった。僕がぐるぐると表面的な事で悩んでいるのを黙って見ながら、一段一段ゆっくりと思索していくのを待っていてくれた。ただ彼は、驚くほどに勉強をしないのだ。今はわからない。奇跡的に大学に入り、しかし馬鹿ばっかりでつまらんと半年で辞めて、また別の大学への受験勉強中なのだが、なにせ今まで全くと言っていいほど勉強をしていないから、今も勉強しているとは思いにくい。

 彼と僕は会うと、いつも長い距離を歩く。その時間は、家に帰ってから回顧すると、まるで夢のように思えてくる。大抵僕らは、知らない街の川沿いを歩いて、僕らが人生最高のモテ期だった小学六年生の話や、最高に馬鹿をした中三の友人達の話や、漫画の話や、才能の話や、どうやって真理を捉えるかという話なんかをする。いつも不思議なくらい時が早く過ぎていく。大抵僕が好きなものを興奮して語って、冷めた目で彼が聴く。たまに彼も賛同してくれる。彼の賛同しないもののほとんどは一時の流行りでしかなく、逆に彼の勧めるものの大部分はのちに僕も好きになる。彼の好みは確かに本質的で、真理的な正しさがある。

 彼が中学三年生の時に、「これまじでいいぞ」と聴かせてきた歌がある。非常に珍しいことだ。彼から僕に何かを(しかもいくらか興奮したようにして)すすめてくるなんて。彼は動画に合わせて踊りながら、やけに音程のいい声で、人を小馬鹿にするように歌う。それからというもの、彼が我が家に泊まりに来ると、僕がギターを弾き、彼がベースを弾いたりなんかして、よくこの曲を歌った。僕にとっては、その曲が、一つの、彼との思い出を閉じ込めてくれているものなのだ。

 この春で無事に受験に成功すれば、彼は京都に飛んでしまう。こういった意味での、人生で本当に大切な人が遠くに行ってしまう、という経験はこれが初めてかもしれない。全く実感がわかずにいる。ただ来年の6月ごろに、僕はこの歌を、いくらか不安定な音程で歌いながら、あの川沿いの夢みたいな彷徨いを思い出すのだろう。というか、どうかそうであってくれ…

 

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