フクラム国

タルイのブログです

昔の話をしよう 5

 「冒険は、不測の事態によって成り立っている。」あのマゼランがこう残したという。嘘だ。しかし心踊ることはいつだって不確定要素に満ちている。往々にして物事は、予定されることが覆ることで、まるで音楽のような面白さと、そして現実のような失望を孕んで、進んでいく。

 日が頂点をすぎて、少しづつ水平線に向かって下降を始めていた。僕は端的に言って、かつて経験したことのないほどに、焦っていた。

 道を見失ったのだ。どうもおかしいと思いながら進んだ先に、行き止まりがあり、しかし多少の不安も見せまいと「大丈夫、大丈夫」を後ろに声をかけながら、必死で現在地を考える。あまり楽しい話ではないし描写することも億劫なので手短に話すと目的地に着いた時に予定時刻を2時間半以上すぎるという事態に陥った。僕の中での予定時刻だったとはいえ、単純計算で来た道と同じ時間が帰り道にかかるとすると、今日中には家にたどり着けそうもないことはいくら馬鹿なハットリでも容易に把握できた。僕らは途端に、その帰るという作業の途方もなさに愕然とし、途方もない倦怠感に包まれていた。のろのろと帰り始めた一行の中で徐々にその空気は蔓延していき、メンバーの実際の距離までもが、段々と、ばらばらになってきた。僕はジャニーズと無言で先頭を走り、少し距離をおいてオタッキーが、更にはるか後ろにハットリが付いてきた。

 初めてだった。目的地についても事務的な達成感しか沸かず、帰り道に絶望感を引き下げることになる自転車旅は。僕らはどこへだって行ける気がしていた。ママチャリでも、中学生でも、どこへだって行けるかもしれない。可愛い希望に溢れていた。確かに関東地方はでた。しかしそれは事実でしかなく、内側の方では、中学生の限界をおぼろげながら認識していた。僕らは幼かった。

 僕は自動販売機の前で止まると、その前のスペースで後の二人を待った。誰もが皆無言でアクエリアスを買い、淡々と水分を取っている。空気はマイナス方向のベクトルを持っていて、時間というはっきりした制限が、各々をじわりじわりと苦しめ、その苦悶が、疲れをあぶり出す。すでに僕も右足に開眼を経験していた。足にはその痛みがじんわりと残っていて、お世辞にも体の状況は良いとは言えなかった。

 その時ジャニーズが言った。「峠行っちゃう?」ひどく軽い気持ちで、幾らかの含み笑いを持って発されたその言葉は、いかにもジャニーズらしいというか、彼の苦しい時に一人持ち合わせる独特の余裕のようなものを含んでいて、それは時間という概念との戦いに新しい光を与え、なにより、僕らの持っている、なんだってできるかもしれないという若さを、はっきりと再起させ、刺激した。

 「行くか。大垂水峠。」オタッキーが頷く。ハットリはいくらか嫌そうにしながら、それでも幾らかの期待を持っているようで、否定はしない。「行くか。大垂水峠。」

 僕らが麓に立ったのはそれから40分後ほどのことだ。坂道は今日1日で嫌というほど経験していたので、車に追い越されながら、ゆっくりと、坂道を折り重ねていく。曲がればまた同じ景色。登る。また同じ景色。登る。また同じ景色。また同じ景色。坂、坂、坂、、、。

「先に行って」ハットリが言った。彼の速度は静止に近く、その歪んだ顔は後悔を思わせた。「峠を降りた先で待つ」と僕ら三人は先へ向かう。誰かにかまって失速した瞬間に自分が飲まれることはわかっていた。ふらつけば自動車にぶつかる。極度の集中力と忍耐が、神経を研ぎ澄ませていた。

 どれくらい登っただろう。足の痛さが外界から独立しているみたいだ。車から見ている人はなんて思うだろう。馬鹿だと笑っているかもしれない。少し横を向いた。すると、僕は動物園のシマウマはこんな気持ちなのだろうと、現実を呪うことになる。誰も、だれも後についてきていないのだ。静止は死を意味する。彼らを待つことはできない。しかし、一人だ。まだ坂は終わらない。僕は一人になっていた。神経を研ぎ澄ませることだけを考えるんだ。降りた先で会える。神経を研ぎ澄ませるんだ。一人は、静かだ。

 「もうすぐ頂上、休んでいってください」と書かれた看板を見つけたのは、それから更に数分経ってからのこと。僕はその山頂にあった喫茶店へとなだれ込むように入り、かき氷を注文して、何かに挑むことのその辛辣さを、ひしひしと、全身に感じながら、世界一美味しいであろうかき氷の到着を待っていた。変な感情だった。助かったと思うよりむしろ、終わった。という、変な達成感があった。もしかしたら彼らがこの前を通るかもしれないと、窓の外を眺める。喫茶店は僕らの登ってきた道の向かいにあり、喫茶店からは手前の道しか見えなかったことから、彼らの姿は見られなかった。しかし、「かき氷ですよ、暑かったでしょう」と心優しいおばさんがピンク色のシロップがかかったそれを持ってきた時、僕は思わずその優しさを放り投げて外へ疾走することになる。

「ハットリ!!ハットリ!!」自転車を引きずるように一歩一歩、ゆっくり進む友人の姿がそこにはあった。「ここで休めるぞ、休めるぞ!」ハットリはこちらを振り向く。僕は途端に、今日の一切を忘れてしまうような感慨に浸った。彼は無言で僕の姿を認めると、自転車を曲げるようにして駐輪スペースに放り、あの心優しいおばさんに「冷たい水をください」と息絶え絶えに言った。僕は不思議な気持ちに駆られていた。それは後悔というにはあまりに単純で、悟ったというにはあまりに現実的な出来事だった。

 彼が、はっきりと、泣いていたのだ。僕はかき氷をじゃりじゃりと食べた。ハットリは一口食べるともういらないと言った。だからかわからないけれど、そのかき氷は、なんだか思ったほど美味しくなかった。

「先に行ってる」自転車に向かう僕は、彼に精一杯気を使ったつもりだった。友人に涙を見せるには僕らは年齢と冗談を重ねすぎていた。僕はこのことは黙っておこうと思いながら、それでもいつか笑って話せるような1日になればいいと、峠の向こうにある帰り道に、期待を寄せて、頂上へのほんの少しの坂道を登って行った。