昔の話をしよう 4

 朝が来た。ちょうど6時を過ぎた辺りだ。一度静まったかに見えていた僕らの喧騒が再びやかましく国道20号線に響く。

「この町頭おかしいんじゃねえのか!?」

「やばいやばいぐふふふふ」

「ちょ・・・・やばいさっきのみた?」

 僕らはしきりに後ろを振り返りながらニヤニヤし合う。四人の少年らは、道に落ち葉のように散らばっていた18禁漫画に大興奮だった。14歳だから多分そういった物を家でこっそり見たことのないメンバーはいなかっただろうが(わからないジャニーズはもしかしたら初めてだったかもしれない。あとの二人は、明らかに経験済みだ。間違いない)、眩い朝日に照らされたそれらのいかがわしいシーンは僕らを大いに加速させ、肯定的な元気を与えてくれた。あの時ほどエロ本を偉大に思ったことはないかもしれない。何故か先数百メートルに渡って定期的に落ちていたそのピンク色の落ち葉を見つけるたびに、ハットリがぐふふふふと笑って教えてくれる。「もういいって見えてるから見えてるから」そう言いながら名残惜しそうにその一枚の偉大な紙切れを四人で見送った。

 

 旅は順調に進んだが、八王子を過ぎた頃からしきりに「開眼って何?」と声がした。オタッキーのこえだ。その名を聞くだけでも恐ろしい自転車旅における最悪の現象の名を耳にし、僕は改めて「開眼」を意識した。ジャニーズが「垂井まだ?垂井まだ開眼しないの?」と期待のこもった声色で聞いてくる。「いやまだ全く大丈夫。」僕は平気そうに返すが、少しずつその影が近づいているのを感じずにはいられなかった。

 皆さんも一度は、筋肉が「つる」という現象に立ち会ったことがあると思う。それが自らに降りかかったものである場合、絶え間なく激痛が走り苦しむこととなり、はたまた他人に訪れた災難である場合どうしてもその痛む姿が滑稽に見えてしまうという、非常にタチの悪いものだ。運動不足の人間が過剰に筋肉を使うことで起こると一般的には認識されていて、この自転車旅においては最早発生不可避の代物だ。

 しかし、ヒラメ筋がつったことのある人はいるだろうか。はっきり言って、その他とは比べ物にならない痛みだ。危うく青年男子の目に涙を浮かべさせるほどの激痛(大げさではない)は、他の箇所の「つり」とは一線を違えた、冗談じゃないやばさを持っているのだ。そう、まるで足に新しく何か別のものが無理やり生まれてくるような。しかしそれはそうそうお目にかかれるものではなく、しかも大いに体質が関係しているようで、従来の自転車旅で僕だけに降りかかっている「天災」なのである。初めての開眼は横浜へ行ったときだった。僕は味わったことのない激痛に道に倒れこみ危うく携帯を川に落とすところだったにもかかわらず、ハットリが「どうしたどうしたどうした」と言いながらバカみたいに笑っていて、ジャニーズも「垂井大丈夫?」と心配しているように見せて堪えきれない笑いと必死で戦っていた。僕は「それどころじゃないんだ」「助けろ」「やばい」とまあよく意味のわからないことをほざきながらその痛みに耐え、しばらくしてその「天災」を「開眼」と名付けたのだった(僕らにとって「中二病」とは治癒し得ないものだったこと、NARUTOはバイブルだったこと、以上の二点から命名の根拠は概ね察していただけると思う)。今回自転車旅初参加のオタッキーは未体験どころか開眼現場に訪れたことさえないのだった。全く幸せなやつである。

 

 八王子を過ぎると、国道20号線から413番道路へ道筋をずらす。「大垂水峠」を避けて通るためだ。僕らは神奈川県に一時的に入り、ゆるい(と言っても中々のものだが)坂道を登りながら、横手に見える津久井湖に絶叫していた。

「ふぅううぅあ!!」こういうときにテンションが高いのはハットリだ。しかし今回は他の二人も、手を上げて興奮している。湖は秘境のように思えた。ここまで来たんだ。僕は意味もなく「うおおお!」と叫ぶ彼らに心底同調しながら、リーダーとしての自意識が訳もなく込み上がってきて静かに興奮を内側で回していた。

 

 「ここで休憩しよう」津久井湖沿いの坂道中腹にベンチと自動販売機があったので僕が休憩を提案した。この時点ですでに持ってきた飲料は底をつき、僕らのTシャツは濡れ雑巾のようになっていて、場所さえあれば着替えたいところだった(最も着替えを持ってきているのは僕とジャニーズだけだ)。

 「・・・まって・・やばい」ジャニーズの声だ。僕らは自転車を止めるとジャニーズに近づいた。何かありえないような体の動きをして苦しんでいる。苦悶が理性を超えてしまって自転車から降りることもできなくなっていた。

「まさかお前!」

「まさか!!!」衝撃が走る。ジャニーズは苦しみをぬけ、激しく息を吐いた後、至極慎重に自転車をとめてこう言った。

「垂井、開眼した」

 今回の旅は異常なことになりそうだ。僕はそう直感した後、同士の出現に大きな感動を覚えながら、大きく笑い声をあげた。