作家力ライザップ『三題噺』(コンビニ、背伸び、リボン)

 私が初めてコンビニに一人で入ったのは、小学校四年生の頃だ。あの頃は、今よりもっと毎日が短かったし、世界は遥かに小さく、今よりずっと、単純だった。いや、今も何一つ変わらないのかもしれない。それでもあの頃の私にはそんな繊細な世界の矛盾点を見つけるだけの観察眼はなかったし、なにより私は自分のことを「るか」と名前で呼んでいた。今の私にとってそれは微笑ましくもない、ただのめくることを躊躇うアルバムの1ページだ。
 そんな私でも少しだけ、メランコリーに浸ったことがあった 。帰り道の河川敷に小さく丸まって、無邪気に遊ぶ同年代の少年たちを下に見ながら、ゆっくり精神の咀嚼を待ったことがあった。

「少しだけ背伸びをしてごらん」少年が言う。
「背伸び?」
「そう。ほんの少しでいい。自分が今見える景色よりもうちょっと先を見るようにする」
「よく分からない」
「すると其処は大抵崖なんだ」
「崖?」
「そう。そして僕は怖いけど其処に落ちていく。」
「なんで背伸びをしたら崖があるの?」私はしつこく聞いた。
「ねえ、どういうこと?」
少年は帰る支度を済ませたようで
「さようならルカさん」と教室を後にした。
 彼はいつも授業が終わるとすぐ家にかえってしまう。後でわかったことだが、彼の家は和泉流狂言の家元であったようだ。彼は一人この「学校」という世界から大きく逸脱した「オーラ」を持ち(それは教師たちすら内包していないものだった)、私の等身大から外れたがる本能のどこかしら一部分を大きく刺激した。好きだったのかもしれない。整った顔立ちをしていたし、他の男子とは比較にならないほど彼を慕っていたことは確かだ。
 しかしその日私は傷ついてしまった。彼の言っていることはよく分からなかったけれど、いつか必ず理解できるように思えた。ただ、彼の生きている世界は私よりも進んでいるという抗いがたい直感の措定が歩みを苦しくさせた。
 夕焼けが遠く彼方に沈んでいく。その過程の中で、小さく丸まった私の体積は、少しづつ窮屈さを覚えてきた。しかし立ち上がるにはまだ暖かすぎる。私にはもっと暗く、冷たい空気が必要だ。
 頭部に違和感がある。ああ、リボンが解けていく。先週末散々せがんで買ってもらった、水色の髪留めが、少しづつ本来の姿に戻っていく。
 あんなに求めていたはずなのに。
 リボンが空へ解けていく。夕暮れへ飛んでいく。閃光の中に見えなくなる。刹那、立ち上がって取り戻そうとすれば、矮小な焦燥感が四肢に行き渡る。同時に、彼の世界には届かないことを心から思い知った。