フクラム国

タルイのブログです

駅まで歩けば、何か思考が進む

砂利道を歩く。少しだけ不安定だが、体をぐらつかせるほどのことはない。

上水の音がちろちろと、手を伸ばしきった更にほんの少し先で転がっている。私は砂利道を歩いているから、無神経にその音を捻り消すことになる。あの無慈悲さが、いつのまにか、心地よさと高慢に変わる。

電灯が忘れた頃に砂利道を照らす。白色の蛾がたかっている。生きることにしがみついているみたいだ。彼らと砂利を幾らか勢い良く踏み潰す私が、一緒になって認め合おうとしているみたいで、しかしそんな欲求が低俗な我が身だけのものとわかると、矮小な羞恥心がコートの内側を這ってくる。

歩くことは恥ずかしく、無神経で、いつも高慢がつきまとう。

やもすると忘れてしまいそうになる。忘れた頃に電灯が、決まって惨めな私を照らす。ちょうど顔が見えるくらいに。うつされなければ認識できない低級なプライドを、私は今もすぐに受け持って、さも自分が歩いていけるかのように振る舞う。

吐瀉物すらつまらないだろうに、愚かに過ごした数旬すら、恥辱にもまれてひもじくなってはこうやって人に認められようとする。歩くことは見苦しい。