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L'après-midi d'un faune

タルイのブログです

『昔の話をしよう』第一項 自転車旅について ①

 昔の話をしよう。僕のいた小学校、および中学校は(ご存知の方もいるだろうが)、かなり人と人との距離感が近い場所だったと思う。教師という存在のほとんどを僕らは「ちゃん付け」で呼んできたし、男女はその隔たりがないかのように、共に遊び、下校していた。僕らの学年がそうであったというよりも、それが母校明星学園の校風だったし、僕らはそれが学校の形であるとも思っていた。後に高校生になった僕は、そこで起立、着席という一連の流れを初体験し、男女の不可解な距離感を体験することになる。君が代を口パクで歌い終えた入学式はいい思い出だ。

 中学生の頃だ。あれは三年生の夏だったと思う。僕は受験をいよいよ半年後に控えていて、この頃から、ポツポツと白髪が見え始めた。僕の人生はこの年からアクセルを踏んだし、一方でこの年から平凡だとか常識だとかを過度に恐れるようになった。それはある意味でとても良いことだったと思うけれど、この年が無ければ僕の人生は全く違うものになったであろうし、僕が築いている大部分の人間関係の風景がガラッと変わってしまうことを思うと、もう一つの人生が興味深くもあった。ただこの話はもうやめておこう。自分の歩いている道が本質的であり、美しいものであるかどうかなんて、今この段階では、何もわからないことだ。

 

 僕には登校を基本的に共にする友人が二人いた。まず一人目。ここでは名を仮にジャニーズとしておこう。このあだ名は未だに返ってきていない彼の某事務所へ送った履歴書に由来しているのだが、彼はこのことを一向に黒歴史であるとは思っていないようで、あっけらかんと小学生の頃の自分の幼さを笑ったりする。要するに、微笑ましいくらい純粋なやつなのだ。

 彼とあともう一人、近くの団地に住んでいたハットリも上げておく。忍者ハットリ君が好きだったためにそう呼ぶのはいささか安直な気がしたし、他の候補もいくらか考えてみたのだけれど、なんとなくハットリが彼の外見や性格諸々にすっぽりとはまっているように思えたのでハットリという仮名を使わせてもらうことにする。彼は太っちょで、いつも半袖半ズボンだった。それは決して彼の怠慢だけによる現象ではなく、彼の一家全体の遺伝的かつ環境的な問題だったと思う。もちろん彼はよくポテトチップスを食べていたけれど、僕が彼の家に生まれたとしたら明らかに彼と同じくもしくはそれ以上の体型になっていたと思う。彼はその体型ゆえにごくたまに通り過ぎる他校の生意気な人たちにちょっかいを出されることがあった。僕の場合そういったことに一々反応する勇気も気力もないので絶対に返答しないと思うのだが、彼は全く恐れずに歯向かっていった。客観的に見て彼の歯向かい方はいつも不毛だったし無謀だった。一緒にいる僕らに迷惑がかかることもあった。けれども自分には絶対できないその姿勢に、迷惑さと共に一種の面白さを感じていた記憶がある。

 僕ら三人は、中学二年生の頃から、定期的に、1日かけて自転車で遠出をする企画を開いていた。それは小学生のころよりも開けてきた社会の、自分たちがその足で到達できるまだ見ぬ世界への憧れが半必然的にもたらした旅だったと思う。僕らは決まってハットリと僕の家の中間くらいに位置する「セブン・イレブン」に、まだ日の登っていない時刻に集合した。僕らにとって日の登っていない時間のほとんどは、日常とは隔離された未知の部分だったし、町がまだ起きていないのにその明かりに一人、また一人と集まってくるあの高揚は、中学生にとって格別のものだった。僕は彼らの中でまとめる役をしていたから(とてもじゃないけれど他の二人はリーダーだとか、企画を決定するだとか、そんな危ない役を務めるタイプではなかった。そんなつまらない役職ではなく、もっとおいしい立ち位置が彼らにはあったとも言える)、僕は決まってコンビニに一番手で到着すると、父から借りた自動車のマップを雑誌コーナーで開きながら同志が集合するのを今か今かと待っていた。ジャニーズはいつも決まって笑顔で現れる。ついにこの日が来た。僕はこの日をここ何週間ずっと待ち望んでいたんだ。というように、「めっちゃ楽しみなんだけど」なんて何回も繰り返す。ハットリはいつも集合時刻ぎりぎりに「ごめんごめん」といって現れる。彼も少なからず興奮している。僕は二人のリーダーとして、さもそこに高度な計算式があるようなふりをして、「8時までにはこの交差点までつけるだろうか…」だとか、さして重要でもないことをぶつぶつと呟く。そしてめっちゃ楽しみなジャニーズと朝起きることにすでに疲れたような顔をしたハットリとを連れて、「それじゃあ、まっすぐ行こう」と、自転車をこぎだす。僕らは中学生として、どうにかして非日常を味わおうといろんなことをしたけれど、なかでもあの自転車旅は思い出すだけで、今も僕を興奮させる。

 僕らはまずお台場にいった。そこで僕らの住んでいる町から海まで、本当につながっていて、僕らだけの力でたどり着けることを(しかもこれが案外苦労しなかった)実感して、なんだ、僕らはどこへだって行けるじゃないかと、変な自信を獲得した。そこからは、「東京都付近の県制覇」を目標に、神奈川と埼玉を「攻略」した。僕にとってその旅は全てが自由だったし、僕次第で到着の距離はめっぽう変わってしまうから、スリリングで刺激的な、端的に言って非常に価値のある旅であった。

 

 一学期がちょうど終わる頃だ。ジャニーズが「次どこに行く」と旅の話を持ちかけてきた。僕はそれがおそらく中学最後になることを知っていたから、「遠いところに行こう」と多少格好つけて返したのを覚えている。それに対してジャニーズが一大決心のように「関東地方を出よう」と呟いた。僕は頷いた。こうした一連の流れの中で、僕らの中で、山梨へ旅計画が進んで行くことになり、結果として我々は、夏休みに入ってすぐ、「午前2時半」のセブンイレブンに集まることになる。