フクラム国

タルイのブログです

東京文化会館の小ホールはとてもいい音が鳴る

 しっかりとした足取りとは不釣り合いなほど、その外見は年老いてみえた。舞台の上で、彼女は一瞬間も微笑みを見せることなくお辞儀をした。あまり僕らに愛想を振りまく必要性を感じていないようだった。あるいはそんなことに気を緩ませたくないのだろうか。拍手が止まぬ間にテキパキとピアノ椅子に座り、僕ら聴衆が会場に溶け込むのを待つこともなく開始音をハンマーが叩いた。
 音は非常に繊細な方向性を持って飛んでいく。若者には妄想できないほどの膨大な年月が示す、あの深みある解釈の音だ。体も、表情も、音楽に酔わされることなどまるでなく、自分がその人生の中で掘り出した音を表出するのに没頭している巨匠のアウラが見えた。しかし、なにかしらの危なかしさや新しさ、はっとさせるようなものがなく、それが輝きの鋭さを一定内に加減させているようで、温かさだけが頬に蓄積して行って僕はうとうとと眠ってしまった。音楽は美しく流動していたが、あまりにも若すぎる私にはいささか退屈だった。
 演奏会はそんな風に、私の体内をぽかぽかと温め続けた。なんとも心地の良い温もりの膜が僕を包んだ。こたつのような幸福な空間を壊したのは、ディティユーのピアノソナタ、プログラムの最後の曲だ。
 心なしか彼女に余裕がなくなっているように見えた。世界一の猛獣使いが新しい世界の怪物を必死で飼いならしているみたいに。コーティングし尽くされた演奏会に、なんらかのずれが起き始めている。彼女はもしかしたらそれをあのお辞儀の時から危惧していたのかもしれない。音が段々と方向性の確定度を薄めていった。ただ、彼女は圧倒的な誇りを持ちあわせていた。さも何も異常が起こっていないかのようにピアノにしがみついていく。手放してしまえば楽なものなのだろうが、音楽家としてか、それとも一人の女性としてか、彼女は執拗に猛獣に鞭を与えていった。しかし若さがもつあの非常識的な勢いはない。いくら噛み付いてもずるずると、事態は良くない方向に向かっていく。私は息を飲んだ。譜めくりの女性が苦しそうに顔を顰めていた。音は分裂を視野に入れ始めた。どう渡っても安全だった石橋が一つ、また一つとレンガを川底に落としていく。体を前のめりにしてその戦いを見守る聴衆たちの前で、彼女は苦悶しているように見え、またそれゆえに狂喜しているようにも見えた。しかし誰にも、本当のところはわからない。能面のように、表情が誇りを守りつづけている。
 結論として、彼女は最後まで魔物を手放すことなく、拍手を浴びることになった。相変わらず能面のように笑み一つ漏らさなかったけれど、拍手が暖かく彼女を出迎えていた。孤独だった戦争から故郷に帰ってきたかのようだった。戦場ではただの戦闘力でしかない存在も、村の中では尊敬され、村人の中には、彼女に自分の夢を託す人間や、彼女の生き様に生気をもらっている人間もいた。多分そういうことなのだ。そういった「他人のしがらみ」なしに、どうして体の老いを隠して、誇りを保ち続けられるだろうか。彼女は鍵盤にしがみつく。今も苦しみ続けている。一人で、焼け野原を歩いている。その姿の美しさに、ホール全体が勢い良く湧き上がった。私は長編小説の、その最も感動的な一部分だけを覗き見したような気持ちになった。多分そこにいるだれもが、少なからず彼女と関わりがあるのだろう。彼女の生き様に触れてきているのだろう。だからあんなにも、拍手が空間に満ち溢れたのだろうと思う。私一人が、ここまでのあらすじも世界設定もわからずに、ただその熱気に圧倒されていた。
 コンサートには様々な形がある。ちょうど音楽にさまざなな形がある分だけ。僕らが来て良かったと感じるときはいつも大抵、その空間に恋をして、帰り道の足取りがおぼつかなくなる。丁度今日のようなときだ。