今年の猛暑度合い

度重なる猛暑でタケルの家の犬が溶けて、ぶよぶよとした犬になったらしくって、まるでサチィみたいじゃないかって笑いとばしてみたんだけど、ふと見れば僕の髪の毛も溶け始めていて、あっという間にハゲ頭になっちまったわけ。

そしたら中学生の頃から連絡とってない優秀だった女の子から連絡が来たものだから、それどころじゃない感満々で、世にも冷たいスタンプを返したら途端アイフォンも溶けちまってささやかな爽快感。僕はまわりにある知らぬまに溶けていたさまざまなものを探した。かーちゃんの手鏡は溶けて過剰にシワがあるようにみえるようになっちまってる。花屋のチューリップは溶けてやけに高値で売れる抽象絵画になってて、ローソンの看板は溶けすぎた結果ギリシャの国旗になってた。

でも何てったってこれが一番で、吉祥寺駅は全てのスピーカーが溶けて駅メロやら放送の類全てが聞こえなくなってた。代わりに熱さに強い吟遊詩人が故郷である火星の歌を歌ってる。少しだけわびしくなるような歌で、僕は踊りながら骨まで溶けて無くなっちゃった。

2017/03/19

繊細な優しさは頰に触れる前に溶けてしまう雪みたいだ。人肌の気配を受けて世界から消えていくものだから、気づかない人はいつまでも気づかないまま。

もどかしさを抱えていた少年の右目の隅にきらめいていた星。臆病さに押し負けていた少年の左目に佇んでいる月。

星と月。夜が来れば繊細な優しさの中で繋がっていく。女の子がすやすやと眠るベッドを照らすような、ほんの少しの光が頰の温度に溶けていく。

メモ

ずっと思い描いている美しい世界だけを好きでいたいと思う瞬間が多々あるのに、書いていたいと思うのに、それだけで終わらないから、これからの僕が、今まで以上に本を読んだり、音楽を聴いたりしながら、沢山の世界を目にするように生きることになるのではないか、と今日は思っていたりする。

ドビュッシー堀辰雄コクトーやらフォーレやらサリンジャーやら、それらは自分が同調できたから好きなのだ。けれど、これからの世界との接し方は、もっと空から自分を見ているような、静かだけれど確かな、「観測」みたいなものなんじゃないか。僕はもしかしたら、そうした静けさの中でもうまくやっていけるのではないか。これは一つ理想的な考えではあるけれど、そんな風に、逃げ回り続けている学問的なことだって、これから少しずつ、うまくいけばいいのにな、と、今日ばかりは思っている。

メモ代わりの日記。

The Apostle

 窓から抜け出して夜を歩く。ゆるされた外出時間だけじゃあ物足りないわたしの生活

はじまりはいつだってわくわくより、何もないきもちの中にあって、気づけば変わっていく景色だけがだんだんと、色づいていく、「かもしれない」未来を可愛らしく形作っていく

ほんとうのことをいうと、もう毎日には変に思うことばかりで、歯止めも効かなくなっているわたしの嘘つきみたいな微笑みを、部屋に留守番させておきたいみたい

ここからなら柵の向こう、遠くまで見渡せる。自分じゃない自分だけが、わたしたちの生活の中で色づいているというのなら、きっと、不確かだと思っていたわたしたちのいじわるな部分だって、こどもっぽいところだって、踊りやおしゃれの一部でしかないんだと思う。

だから身をゆだねるように、まるで気分で作った音楽に恋をするみたいに、緩やかにいきるつもり。

 

youtu.be

(ever)lightgreen

わたしは誰かほかの人間であったりだとか、何か大きな仕組みだとかと手を取り合って、あるいはよいしょしてもらったりして、健やかな毎日を過ごしていける。そういうことはもうなんとなくわかる。わたしは、ひとりで生きていける、と言えるほど強くないし、そんなはげしい心はいつかの昔にどこか遠くに落としてきてしまったから。

それでもその気になれば、わたしはどこまでだってもう、ひとりでいける。誰かの帰りを待たなくたって、お気に入りのコートを買って、溶け出すように街の中を闊歩して、あざやかな色の電車に乗り込み窓の外に広がる夕暮れを好きなだけ眺めながら、ネオンの眩しい新宿にだって、ちっちゃい頃に住んでた家の近くにあった公園にだって、いける。

みんなを裏切るようにして、例え誰かに「冷たい」と陰口を叩かれたって、何処へだって、いける。

暑さにおかしくなったのか、ひょんな言葉や、音楽や文字や気遣いに助けられるようにして、どうにか寝不足に冒されふらふらになりつつも帰り道を辿るような日。生産的なこと、なんだそれ?って本気でかしげるほど相当に頭が悪いもんで、夜中じゅうひたすらにゲームをして窓の外、ミンミンゼミの声を聞いた昨日の夜明けをぼんやりと思いだす。

いつになったら終わるかわからない気持ち悪さや居心地の悪さは途方もないことのよう。遅起きの僕を家族は相当に煙たがっているらしい。そういえば今日読んだブラッドベリの短編では火星を冒険していたし、最近夢中になっているアニメではタイムリープがなんども行われていたっけ。対してどこにも行けない僕などは一体全体どんなふうにこれに対決したらよいんでございましょうね。

憂鬱には良いものと悪いものがあるというが、まさに悪い方のそれが今日一日覆い尽くすように街中の熱気と混ざって大変な具合である。

尾崎豊が"Freeze Moon"という曲ではち切れるくらいの声で「きっと何もかもが違う 何もかもが違う」と言い続ける一節があって、そのシーンの尾崎豊が多少滑稽な形で持って大層な人ごみの街中、脳内で「きっと何もかもが違う」と叫び続けている。

何かやりたくないことがあると、人は目の前の快楽に逃げたくなりやすくなるらしく、非常に今の僕がゲームをしたり可愛いだけのアニメーションを見たりしているのもうなずける。このぬかるみにこの年で、ずっと囚われてしまう怖さを感じながら、それでも「やりたくないこと」の終わるまで、こんな無為な、「何もかもが違う」ことをし続けるのだろうか。

一ヶ月の間に一日くらい、こんな日があってもいいのかもしれないけれど、それにしても、尾崎豊はからだをKの字にして大袈裟なくらい必死に歌い続けていて、それだけが脳内で色づいている。