Tarui2019

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春のよるはねむる前に

ねむろう、と思ったら、まず、わすれないように歯みがきをする。

しないで布団にはいってみても、きまり悪くてけっきょく歯みがきをしてしまう、

そんな自分を知っているので、うごきたくなさに逆らう。

ついでに固形せっけんを泡だてて顔を丁寧に洗う。タオルで拭いたらニベアをつける。両手になじませてから頰をなでるようにつける、ときもちいい。

洗顔でぬれてしまった前髪をドライヤーでかわかしながら、今日をおもいだしてぼんやりする。

ねむくないことに気がついて、好きな人のことをかんがえながら、彼女は苦手かもしれない、感傷的なうたを歌う。

そしたらギター・コードを見ていた携帯がふるえて、友人から連絡がとどく。すぐに返信をして、そのあと、布団にくるまる。

まってみても、友人からの連絡も、誰からの連絡も来なくって、携帯の電源は切って、虚空に向かって、ていねいにおやすみを唱える。

あたまの中には先ほどうたった歌が流れている。ねがえりを打つたびに目が覚めていくような。それでも2月とは違って、ねむれなさはすこし、心地よさを含んでいる。

 

https://youtu.be/lfNRrOkuYqk

高揚を誘う景色が

8月だって涼しい、湿気のない海の向こうの国から彼女の絵葉書が届いた。彼女も僕も東京育ちで、それだのに、数年が経ったら彼女はこの街を飛び出して空の向こう、気持ちいいくらいの微笑みだけ残して行ってしまった。僕はなんだか時間にだまされているような気がしながら、あまりにすいすいと進んでいく二人のひと時から簡単に彼女が離れていくのを夏が眩しいからって、理由をつけて片目をつぶったりして気障らしく見送ったんだった。

君が送ってきた絵葉書をひっくり返すと、高揚を誘う景色がそこにはあって、突き動かすような情動が僕を捉えてしまって、自転車を大げさなくらい回転数上げて漕ぐ。あの坂の向こう側まで、絡まる風を断ち切るようにしながら、どうしようもない苛立ちみたいな、焦りみたいな昂りに留まる居場所を無くしながら。

どこかで僕は、生きる場所を間違えたのだろうか。ここで生まれ育ってきたはずなのに、彼女に出会ったというだけで、この街がひどく、よそよそしいものに思えてしまう、飛び出した彼女の微笑みが坂の上思い出されて、今更ながら君についていけばよかったなんて、ふと考えてみたりもしたけれど、結局落ち着きを取り戻したら坂の向こうに絵葉書を、僕の部屋から見えないよう置いて家まで帰った。

 

MONO NO AWARE「井戸育ち」より

youtu.be

私にとってのYohei Sugita

今から現代美術家の杉田陽平について書いていこうと思っているのだけれど、しかしながら私は、美術のことをあまりよく知らない。芸術系の大学に通ってはいるものの、専門は美術ではなく、音楽、それも、演奏ではなく、音楽学という学問を扱う学科に所属している。

私が大学で専門にしているのはクロード・ドビュッシーというフランス人作曲家の作品である。ご存知の方もいるかもしれないが、おそらく、《月の光》が一番有名な楽曲だと思う。 

高校時代、道すがら、ドビュッシーを聴くのが日課だった。それは西洋音楽が好きという理由からではなく、むしろその逆で、当時芸術系の高校で西洋クラシック音楽を専門にヴァイオリンを専攻していた私にとって、ドビュッシーだけが、自信を持って好きだと言える西洋の音楽家だったのだ。私はドビュッシーの《牧神の午後のための前奏曲》や《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》などを聴いて、情景や物語を思い浮かべると、その妄想を楽しんでいた。

当時、自分の内的な世界観を形成するのにドビュッシーが最大の影響を与えたのは確かだが、それを外に出す術を示してくれたのは、「風立ちぬ」などで知られる作家、堀辰雄の文章である。初めて「風立ちぬ」を読んだ時、衝撃と共に、こうやって自分は、まるでドビュッシーのように、内的な世界を表象化させていくのだ、と強く感じた(それからこんな風にして、文字を書くことを自発的に行うようになっていった)。

ドビュッシーと、堀辰雄、そして自分。まさに高校生の特権だと言うべきか、その頃は何か、まるで誰も知らない秘密を三人だけで抱えているような、そんな高揚感を覚えていたものだ。そんなことを考えていた日々は、その後に出会う多くの芸術家や、人生上の経験を経たあとでは微笑ましくなってしまうものだけれど、それでも温かい思い出として今も残っている。

さて、自分語りはこのくらいにして、杉田陽平の絵に初めて出会った時の話をしよう。確か場所はアートスペース、3331だったと思う。その頃ひょんなきっかけで仲良くさせていただいた三鷹のアトリエがあって、そこでお世話になった人の友人として、杉田さんを知った私は、ツイッターなどをなんとなく拝見しているうちに、実際に絵が見てみたくなった。彼の展示が行われていると知った私は、興味本位で行ってみたのだった。

そこに飾られていたのは、「牧神」という大きな絵で、高校生の私は漠然とこう思った。この人もまた、僕達だけが知っている秘密を抱えている人みたいだ、と。ドビュッシーの《牧神のための前奏曲》との題材の重なりを好意的に感じたのはあっただろう。しかしそれにも増して、その絵から浮かび上がる情景や物語は、自分を魅了し、また、ドビュッシー堀辰雄プラスアルファの存在として、杉田陽平を位置付けるに十分なものだった。

 

杉田陽平「ラビット・アイズ」

「牧神」

 

それからは、個展の知らせをfacebookで見る度に訪れるようになった。毎回顔を出すものだから、やがてご本人とお話しするようになり、かなり利己的な視座から繋がりを見出していたドビュッシーの曲を紹介したり、作品を見て感じたストーリーや情景を文字にして送ったりと、随分身勝手なことを行ってきた(そういう時にも丁寧に、しかし決して甚だしくなく対応してくださるのが杉田さんである)。思うに、その頃の私は、杉田さんの作品が持つ、モティーフや、色合い、質感に惹かれていたのだと思う。蝶や女性、一角獣などのモティーフや、あえてザラザラとした質感、ピンクや水色、赤紫などの色合いに、私自身が、有り体に言えば「素敵」と感じ、育てていた内的な世界観にうまく呼応していたのではないだろうか。

sugita helena_121107 .jpg

ブラック・スワン

 

 しかし、私が大学生になった丁度その頃から、杉田さんの作品は、急激に様相を変えてきた。その変化をわかりやすく言えば、杉田さんは周りから、抽象画家と呼ばれるようになっていったのである。私にとってその変化は、理屈で言えば、望ましくないものであったはずだ。自らの内的な世界観、そこに呼応する作品として好きだったものが、抽象化することで呼応するポイントとなる発信源を失ってしまうのだから。実際、戸惑いであったりとか、杉田さんは以前の作風に戻らないのだろうか、という思いがなかったと言ったら嘘になる。それでも何故か、私は抽象画家と呼ばれるようになった杉田陽平の個展をその後も、告知のたびに出かけ、十分すぎるくらいに眺め、杉田さん本人の解説を聞くという行為を繰り返していた。面白くなくなったと感じた漫画はたとえ途中まで全巻買っていてもやめてしまう、そんな類の人間であるにも関わらず、何が好きなのかも分からずに、それでも個展に通い続けていたというのは、思えば変な話である。

poster for 杉田陽平「絵画の花びら」

「絵画の花びら」

「material series 7」

 

そんな風にして訪れた今日、私は個展に伺い、毎度のように杉田さんの話を聞く中で、腑に落ちたことがあった。もちろん、そうしたことがあったからこうしてブログを書いているのだけれど、それにしても、それはひどく当たり前のことのようにも聞こえるから、却ってうまく言いづらい部分がある。

どうにか言おうとしてみるとすれば、どうも高校生であった当初の私は、杉田陽平の絵画に散りばめられていた、モティーフや、質感、色合いなどから構成された世界観を観に個展へ足を運んでいたのだったが、大学生になり、抽象画家と呼ばれるようになった杉田陽平をも追いかけていた私は、いつからか、杉田陽平が杉田陽平である、ということ自体を確かめたくなっていた、ということらしいのだ。彼が彼のままでいるということ、もうそれ自体が、たまらなく好きになっていたのである。

私が発する言葉を、杉田さんはいつも好意的に聞いてくださるのだが、中でも気に入っていただけた言葉があって、それが、たしか去年のグループ展の時に私が発した「無免許運転」という言葉だった。常識や安全をとって行動や将来の進路などを選ぶのではなく、全くそういうことを考えずに進む、というような文脈で発した言葉だったのだが、杉田さんはその言葉が殊更気に入った様子で、ブログに書こうかな、などとおっしゃっていた。

考えてみれば確かに「無免許運転」とは言い得て妙な部分があって、杉田さんはまるでピカソのように、作風を変えることを露ほども恐れずに、様々な形状のものを作り続けている。その進み方はまさに交通安全法に違反するような、荒く蛇行した無免許走りであるといえよう。

しかし本当は、無免許という言葉で表しきれるものではない。杉田陽平は、他の誰でもなく杉田陽平である、というそのこと自体の輝きでエンジンを動かし、何の舗装もされていない道を進んでいる。だから免許とかそういう概念ではないのだ。ただ行く道を行く。行きたい方へ、行けるところへ行く。非常にシンプルな動きである。

なるほど杉田陽平とは、そんなに大層な、カリスマ性を持った人なのか、と思うかもしれない。しかし、(こう言いきってしまうのもどうかと思うのだけれど)彼は全くそうではない。作家の川上弘美さんが講演会の際、「作家なんて会ってみれば案外普通なもの。でしょ?」なんて言っていたけれど本当にそうで、彼は、尖った言動を発したり、社会不適合な容姿を見せびらかすように歩いている訳ではなく、礼儀正しく、優しく、話し上手で、そして釣り好きの男性である。私が彼の個展にこうして足を運ぶのは、カリスマ性があるからではなく、カリスマ性などなくとも、そこに彼の作品があれば良いのであって、極論を言えば、キャンバスに線一本でもいいのである。そこに「これを作品として出しました」という、杉田さんの愛着や葛藤の上での宣言があれば。

池澤夏樹は「決して変わらないものに変わりゆくものを添わせる。そうすると重たい話が書けるんです」と述べていた。変わりゆく杉田陽平は未だなお、変わらない何かを持ち続けている。もしかしたらそれは、私が高校生の時に見つけたつもりになっていた、「秘密」に、概念的に案外近いものかもしれないけれど、本当にそれは、言葉にするべきものでも、出来るものでもないだろう。「変わらない大切があるから 変わりゆく生活が正しい」という歌は、果たして誰の曲だったっけ。誰の曲か思い出せないけれど、でも本当に、今ここで言いたいのはそういうことだ。

特に今回の個展では、心地よいレイアウトで見渡せる展示全体から、その変化が立ち現れるようになっており、私はそのおかげで、杉田陽平が杉田陽平であり続けてきた、ということそれ自体の尊さに、自分が好意を抱いていることを、実感することができた。私にとってそれは、やはり記念すべきことだったし、そして何より、「私も、こんな風になろう」と、そんな気持ちを抱くことにもなった。それは、まるで子供の頃親戚のお兄さんに星の名前を教わったときのような、感極まる瞬間であって、だからこそ、専門的なことなど何も知らない美術の世界の方について、こうして何か書こうと、つらつら文字を重ねてみたのである。

 

終わり。

 

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感傷にやられて

感傷にやられて、孤独になれずにいる

何かを学ばなければと口は急ぐけれど

手は何も動かないまま、昔作った歌を

また最初から聴いたりしている。

感情の折り返し地点がわからずに、

再びの始まりの気配もなく

ただ、昨日の酒の残りのような

淡い意識に埋もれ続けている。

また人のいる方へ今も

向かっている。

昔の約束を、忘れたふりをして

Guiter solo

君が「この壁の向こうにはきっと、広がっているはずなんだ、なにかが」と呟いた時、どうしようもなく沸き立った胸の内を無視するようにして、「へえ」と冷めたふりをして返してみたりしたけれど、たしかに何かが広がっているんだと思う。見たこともない大きさの生物や、感じたことのない感情の渦であったりとか、それに、知らなかった気持ちの伝え方、世界の捉え方だってそこには広がっているんだと思う。

大人たちのことを、君は「自分自身を分かっているふりに慣れた人」だなんて、すこし面倒な言い方で表したね。彼らは知ったような口をして、人生の苦しみや喜びを伝えあえるように思っているんだ。それは確かに価値のある瞬間ではあるかもしれないけれど、それでも僕たちには必要ないと今なら言える。

なんとなく眺めていた雲がふとした時に何かに見えるように、ずっとぼんやりと知っていた壁の向こうの景色に、今はもう、はっきりと形をみて、それに標準を合わせながら前を歩ける。明かりの灯る場所まで、ひとまずの休息のために帰りつける。

medium no.2

新大陸で海を見つけた。薄い紫色をした、美しい海だったから、好奇心と名誉欲で生きてきた大人達が大層な速度で駆け抜けていったんだ。

「ほら、これ、みてごらんよ」興奮した口調でビーカーに入れた薄紫の海を持ち帰る大人。揺らしすぎだよ、僕は笑っていう。

あ!

ほら、ビーカーが落ちて、割れた。それでも彼は笑っていた。「あちゃぁ、また取ってくるか!」

あまりここにとどまらないほうがいいんだろうな。そう思いながら、僕は、落ちた破片をなぞるように、ゆっくりと動くその液体を認めていた。それは奇特な動きでガラス片に吸いつくと、一瞬のうちに飲み込むようにして、そのガラス片を消し去ってしまった。

僕はその液体から目を離さぬように、慎重に飛行船へ戻る。

大人たちの切迫した叫び声が聞こえてくるまで、さして時間はかからなかった。