Sweet Lorraine

夏の連載2018 (7/4〜8/3)

今年の猛暑度合い

度重なる猛暑でタケルの家の犬が溶けて、ぶよぶよとした犬になったらしくって、まるでサチィみたいじゃないかって笑いとばしてみたんだけど、ふと見れば僕の髪の毛も溶け始めていて、あっという間にハゲ頭になっちまったわけ。

そしたら中学生の頃から連絡とってない優秀だった女の子から連絡が来たものだから、それどころじゃない感満々で、世にも冷たいスタンプを返したら途端アイフォンも溶けちまってささやかな爽快感。僕はまわりにある知らぬまに溶けていたさまざまなものを探した。かーちゃんの手鏡は溶けて過剰にシワがあるようにみえるようになっちまってる。花屋のチューリップは溶けてやけに高値で売れる抽象絵画になってて、ローソンの看板は溶けすぎた結果ギリシャの国旗になってた。

でも何てったってこれが一番で、吉祥寺駅は全てのスピーカーが溶けて駅メロやら放送の類全てが聞こえなくなってた。代わりに熱さに強い吟遊詩人が故郷である火星の歌を歌ってる。少しだけわびしくなるような歌で、僕は踊りながら骨まで溶けて無くなっちゃった。

2016/10/08

夜は空き部屋の隅から滲み出たもの。目論見を食べ、膨らんでいく。

星は書きかけの意味を照らすもの。面倒見の良い道案内のように。

海は内側の意識を温めるもの。広がるどころか濃くなるばかり。

掴んだものが今日もまた、一雫になった

溺れ死ぬまであとどれくらい、夜は膨らんでいく

変えてはいけないものも、少しだけあるよ

夜も星も、海も、生活も

 

時代の子

そういえば先日友人に連れられてポケモンの映画を観た。題名は「みんなの物語」。

少年時代、まだ音楽にも小説にも、完全に目覚めてなんか全くいなくって、まだ半開きだった頃、ゲームを大層よくやった。そしてその中にはもちろんポケモンもあった。 

なんだかこれは非常に戦術的に行われていることだと知りながら、幼き日の思い出というものに、ポケモンという愛らしい存在が刷り込まれてしまっているのを振り払えずにいる。ミシロタウンの音楽を聴けばノスタルジーを伴ってあの頃の記憶が蘇ってくる。

巨大すぎる産業になってしまった、必要悪ともいえそうなポケモンという存在だけれど、それでもたとえばこの歌には罪はないし、感動は届く。映画だって、すんなりと頬を涙が伝ってしまう。

年を追うごとにいろんな視点からつまらなく物事を捉えてしまう癖がついてしまった。それはいいことだとは思うけれど、ポケモン時代の子であることを純粋に喜べない自分がいて、なんだか居心地が悪い。時代の子であることの居心地の悪さの話。

 

youtu.be

2017/03/19

繊細な優しさは頰に触れる前に溶けてしまう雪みたいだ。人肌の気配を受けて世界から消えていくものだから、気づかない人はいつまでも気づかないまま。

もどかしさを抱えていた少年の右目の隅にきらめいていた星。臆病さに押し負けていた少年の左目に佇んでいる月。

星と月。夜が来れば繊細な優しさの中で繋がっていく。女の子がすやすやと眠るベッドを照らすような、ほんの少しの光が頰の温度に溶けていく。

メモ

ずっと思い描いている美しい世界だけを好きでいたいと思う瞬間が多々あるのに、書いていたいと思うのに、それだけで終わらないから、これからの僕が、今まで以上に本を読んだり、音楽を聴いたりしながら、沢山の世界を目にするように生きることになるのではないか、と今日は思っていたりする。

ドビュッシー堀辰雄コクトーやらフォーレやらサリンジャーやら、それらは自分が同調できたから好きなのだ。けれど、これからの世界との接し方は、もっと空から自分を見ているような、静かだけれど確かな、「観測」みたいなものなんじゃないか。僕はもしかしたら、そうした静けさの中でもうまくやっていけるのではないか。これは一つ理想的な考えではあるけれど、そんな風に、逃げ回り続けている学問的なことだって、これから少しずつ、うまくいけばいいのにな、と、今日ばかりは思っている。

メモ代わりの日記。

The Apostle

 窓から抜け出して夜を歩く。ゆるされた外出時間だけじゃあ物足りないわたしの生活

はじまりはいつだってわくわくより、何もないきもちの中にあって、気づけば変わっていく景色だけがだんだんと、色づいていく、「かもしれない」未来を可愛らしく形作っていく

ほんとうのことをいうと、もう毎日には変に思うことばかりで、歯止めも効かなくなっているわたしの嘘つきみたいな微笑みを、部屋に留守番させておきたいみたい

ここからなら柵の向こう、遠くまで見渡せる。自分じゃない自分だけが、わたしたちの生活の中で色づいているというのなら、きっと、不確かだと思っていたわたしたちのいじわるな部分だって、こどもっぽいところだって、踊りやおしゃれの一部でしかないんだと思う。

だから身をゆだねるように、まるで気分で作った音楽に恋をするみたいに、緩やかにいきるつもり。

 

youtu.be

膝を折り、水を飲んで

半年ぶりにヴァイオリンを弾いた。昔よりすっきりと色々なことが落ち着いたような気がして。

夏休みになる。ひとまずのところそれはうれしいことだ。結局のところ誰かといすぎるのは麻薬みたいに副作用があるように感じる。扇風機の風でページのめくれるのを抑えながら堀辰雄を読み返す。ずっと気になっていた音楽の映画を観る。ゆったりとした時間が私だけのものとして流れるなかで、これからの自分の行き先にふと不安になることもあるけれど、その感覚はむしろ、感じられるだけ十分に尊い