自分の手に負えないこと

続き

「……強すぎる光が嫌になってきて、部屋にある蛍光灯のような勉強机の明かりでは上手く読書をすることが難しくなってきたので、最近は、毎日ではないけれど、暗闇の中でろうそくをつけ読書に望むことがある。揺れるたびに少し見えない文字があったりするけれど、それでも見える範囲の中で文字が読める。その、十分より少しだけ足りない明るさ、がちょうどいい。昨日は疲れていて、無造作に、その灯りの中に栞を掲げてみた。当然のように一気に火が燃え移って、部屋は途端に明るくなり、危うく指が燃えるところまで栞は燃え上がった。慌てて手放したものの、勉強机の上で急速に灰になり、焼けた匂いを強烈に放つ。なんとなくで生まれた火の大きさに、恐怖心が身を覆い、混乱したままでろうそくを吹き消す他、自分にできることはなかった。

「例えばそんな昨夜の出来事みたいに、ふとした瞬間に、「自分の手に負えないこと」が、誰にでも、起こりうる。火が急速に燃え移った、とかそういう物理的な話ではなく、もっと人生における、重要な一瞬間として。例えば、無名だった指揮者が突如世界的なオーケストラを振ることになったり、オペラ歌手が代役を務めたりとか、そういった想定外のチャンスの類である。意外とそういうことは起こりうるらしく、演奏会で配られるプログラムに載っている、演奏者のプロフィール欄にそうした記述を見ることがままある。「19〇〇年、急遽〇〇の代役で指揮。成功を収め、地元紙に「〇〇」と評される」みたいな。

「自分の手には負えないことの例としてあるのは、あとは例えばアイデアがある。ある日なんらかのきっかけで突然自分に訪れる、神様みたいな誰かさんによって渡されたとしか思えないようなアイデア、というのに巡りあう瞬間があったと話す芸術家たちは少なくない。例えば小説であれば、何を書こうか、と迷う次元を超え、ああ、自分はこれを書くんだと、あるいはこれを書きなさいと、まるで誰かから言われているような感覚に陥る一瞬間の閃きが、訪れたりするらしい。

「思うに、そうした意図せず訪れるチャンスやアイデアは、制御し、扱いきれるものではない。それは、素の自分では抱えきれない危ないものである。それこそ急速に燃えていった栞みたいに、立ち現れたそれに恐怖心が轟々と音を立てて、強大な怖れが身を襲うことになるだろう。指揮者であれば、オーケストラからの自らをゴミ屑のようにみる目が自らをどん底に落とすだろうし、小説家であれば、胸に抱えたアイデアは書き起こそうとするほどに激しい熱を帯びて、ジリジリと神経を焼いていくのだろう。

「そうした手に負えないことは、天才か凡人か、という問題ではなく、多分、食後の戯れに神様的な天の上の誰かが目をつむって(神様は目をつむってもなにもかも見えてるような気がするけれど、それはまあ置いておいて)名前の書かれた紙の入ったボックスから無作為に選んだ人間に訪れるようなものなのだと思う。理屈では説明できず、自分からは生み出すことのできない、外側の世界が作るものすごく無慈悲な采配として訪れる一瞬間。

「もう一歩踏み込んで考えると、前回問題に取り上げた「天才」という存在は、その生命自体が、神様的誰かの食後の戯れによって生まれた「手に負えないこと」なのかもしれない。いつだって自らをどん底に落とす何かがあり、胸は燃え、皮膚が焼けただれ、それ故に分厚い皮を獲得し、そうやってNO.1になるための強度を身につけているのかもしれない。だとしたら、遠くからみればその人生は輝いているかもしれないけれど、その炎に近づき焼けていった人間たちがいるのだろう。その炎の中で、近づくものたちが焼けていくのを呻きながら、そして、自らの皮膚がただれていく激痛と常に立ち向かいながら、それでも生きる他ないのが、天才の、本当に無慈悲な義務なのかもしれない。

「例え話から象徴として生まれた、あのジョンは、天才などではなく、ただの凡人で、生きる場所を、変えることはできない存在だ。生きる場所が押し付けてくる「こういう風に考えなさい」という教えを、その背後になにかとんでもなく取り返しのつかないような目論見を感じながらも、表面上受け入れ、その教えを守っているように演じる他ない存在だ。「あれ、おかしいよな」と思いながら。その違和感を持っている自分こそがおかしいんじゃないか、と感じ、そしてその違和感を持たなければどんなに楽だったか、と思いながら、それでもそれを手放すことはせずに、どうにか違和感を待ち続けることだけを続けた凡人だ。NO.1にはなれず、どうしようもなくちっぽけで、なにもない。

「そんな彼の元にだって、ある日、食後の戯れに神様的な誰かが無慈悲に「自分の手に負えないこと」を施すかもしれない。燃える炎を自らに宿した天才が彼の元に現れるかもしれない。大きな存在と立ち向かうような武器を与えてくれるかもしれない。

「彼の心を殺そうとし続けたあの、例え話の中でダースベーダーと名付けてきたあの大きな存在に、天才は何をするだろう。他の大勢の兵士たちと同じポーズで並んだジョンの前で、彼は一人違うポーズをとるだろう。そしてその大きな存在が彼に目をつける。殺そうとするだろう。間違い無く、彼の元に現れて、彼を嘲笑いながら、圧倒的な圧力をかけるのだろう。

「それでも個性的なポーズをやめない天才に、ジョンは、やめたほうがいいと声をかける。その瞬間である。天才はきっと、地面にめり込むほど左足を踏ん張って、大きく捻った体で、迷いなく、ダースベーダーと呼んできた、やつのその顔面に、揺るぎない拳をねじ込むだろう。

「彼の心を殺そうとし続けたあの、例え話の中でダースベーダーと名付けてきたあの大きな存在に、武器を手に入れたジョンは何ができるだろう。彼は、整列する兵士たちの数を数えるために目の前をゆっくりと通ったその大きな存在に見つからないように背後にその「自らの手に負えない」武器を隠し、手を焼かれながら、骨まで届く激痛に耐えながら、「あの…」と声をかけるだろう。そしてダースベーダーが振り返ったその瞬間に、地面にのめり込むほどに踏ん張った左足を支えにして、燃え盛る武器をねじ込むだろう。その顔面に、迷いなく。歯の折れる音が聞こえても、鈍い感触が立ち込めても、それでも決してやめずに、全身全霊で、ねじ込むのだろう。

「天才の振り下ろした拳は、ジョンがねじ込んだ武器は、あの大きな大きな存在をぶっ飛ばす。その後訪れる数秒の沈黙の後、世界は割れんばかりの喧騒をもち、崩れ落ちるように敵の軍勢がジョンへと、あるいはジョンの前に現れた天才へと襲いかかるだろう。拳を振り下ろした後の天才は無防備だ。その時にジョンは、例え凡人であろうと、天才の元へ全速力で駆け、その天才の命を、それ自身が燃え上がっている天才の為に自らの背中を焼かれながらでも、護ることができる。

「襲いかかろうとする敵の軍勢の前で、骨の見えるほどに焼けた手で、ジョンは、例え凡人であろうと、その武器を天に掲けることができる。武器を掲げたジョンが振り返れば、そこには胸に「あれ、おかしいよな」を隠し続けた人々が、武器を掲げ、歓声をあげ、地を震わせている。

「その刹那、世界は新しい色を持つ。

「凡人ばかりがはびこるこの世界で、自らも凡人であるとこれ以上なく自覚できたなら、それならばこの一生を、その刹那のために生きよう。

「その刹那のために、敢えて身の焼けるような危うさに挑もう。敢えて孤立を選び、来るべき刹那のために鋭さを磨こう。

「その刹那、振り下ろした指揮棒の先、音楽は、何度も何度も夢の中でイメージした心地よさを持って、世界に流れ出る。その刹那、小説は力を持って遠い国の誰かを救う明かりを含む。その刹那を信じよう。だからいつも、ジョンは、道に迷った時は敢えて困難を選び、「あれ、おかしいよな」を殺す安心と安定を遠ざける。「どっちなんだろうな」と世界に問い続け、悩み続ける。その果てに、「手に負えないもの」が世界を変える刹那が来る。その刹那のためだけに、奴にねじ込む拳を鍛え、天才の背中を護って戦う強さを得よう。常日頃から恐怖心と戦い、自ら炎の中に飛び込んで、焼けただれる肌を誇ろう。

「悩み、学び、努力、憂鬱、孤独、寂寥、全てがきっと、その刹那のためにある。

「その刹那のためにある。」

変えられない場所の中で

続き

「………

「……天才という存在について。

「世の中を天才と凡人の二種類に分けて、自分は果たしてどっちの側に属している人間なんだろうと考えることは(それが6歳であれ13歳であれ19歳であれ)誰にだってあったことなのだろうが、自分は間違いなく天才の側に属している人間だった、という結論に至ることは、まあ、まず無いと言っていいだろうと思う。

「主観的な感情をできる限りなしにして、自分が果たしてどれほどの人間で、果たしてどんなものを持っているのか、と疑問を持てば、その瞬間に、自分が凡人だと、どうしようもないほどに気がつく人も世の中にはいるかもしれないけれど、どうも、自分の才能に対して、自分には、自らの想像を超えるような、世の中を人並みの苦労をすることもなく渡っていけるような何かが備わっているのではないか、と(多くの場合主観的な感情が思った以上に作用して)考えている人が結構いて、そういう人たちは、凡人か天才かどうかわからない自分、という宙ぶらりんの場所に生きている。吹き溜まりのような場所に、そういう人たちは固まっていて、果てしない気遣いの中で、どうにか、お互いの尊厳のようなものを守って生きているように見える。だらだらと、勘違いに身を埋めて。

「でも、「本当に自分には何もないのか?」という問いに、「本当に何もないよ」と、心から答える人間が果たしてどれくらいいると言うのだろう。某アイドルグループの有名な曲の中に、「No.1にならなくてもいい もともと特別なオンリーワン」という歌詞があって、割に多くの人が、つまりアイドルという存在に日頃さして興味を持たないような人も含めた一定数の人々が、この歌詞に、「人と比べなくてもいいんだ」という、ある種の救いのようなものを得ているように思う。人間は他人と関わることになると、自分がどれくらいできているのか(どれくらいできていないのか)を確かめようとするらしく、そのために他人と比べて優劣をつけることになりがちで、そうした行為の中にとらわれると、心はやはり、だんだんと疲れていく。わかりやすい例で言えば、例えば沢山勉強したテストで一位を取れなかった時、その現状自体になんらかの「許し」というものを求めてしまう。疲れた心を癒し、苦労を許容するような何かを。そうした状況に、この歌の優しい歌詞は、心地よい「許し」を施してくれるように思う。

「さて、天才についての話に戻ろう。天才は、基本的にNo.1である。No.1とは言わなくとも、その専門領域の中で、最も優れている人間の一人である。優れている、という言葉が引っかかるというのなら、その専門領域の中で、最も「ヤバイ」人間の一人、とでもいうべきだろうか。常軌を逸脱している人間であり、一般的な尺度では捉えられない人間であり、世界の何かを動かすような力を持っている存在だ。

「よく、そんな天才を生むのは、才能か、努力か、環境か、どれだろう、みたいな問いが生まれるけれど、世の中で天才と呼ばれる人は、否応なく「才能も努力も環境も」である。どれがあるだろうか、なんて迷う前に、全部あるのである。

「もちろん、例外はあるだろう。例えば、サヴァン症のように、日常生活が正常に行えないほどのある種の人間的な欠陥があり、それ故に、何か特定の領域が爆発的に秀でている何かがある場合がある。しかしそれはまあ、非常に先天的なものに由来する特権的例外であって、その才能自体で、環境と努力という他の二科目を強引にねじ伏せ、強制的に生み出してしまうものだ。

「問題の中核に入る。

「果たして、今まで自分が、こいつは天才で、きっと、この世界で生きていける、と信じてきた同世代の人々は、本当に、天才だったのだろうか。そして何より自分自身は、天才と称されるような可能性を、秘めているのだろうか。個人の力で世界の何かを動かせるような、そんな可能性を持った存在なのだろうか。

「自分を見つめ返してみれば、才能があると自分に言いきかせようとも、それが世界を圧倒するようなものではなく、努力も、環境も、世界を揺るがすような、即ち、NO.1になれる可能性を持つような重みを、持っているとは到底思えない自分の姿ばかりが、見えてくるのではないか。加えて、いろんな紆余曲折はあれどなんとなく、それなりにしっかりとした日常生活を送れてしまっていて、そして、悩みを持つことができてしまうような存在がちっぽけに佇んでいて、とてもじゃないけどサヴァン症のような例外には全く当てはまらないんじゃないのか。

「自らが、徹底的に、どうしようもないまでに、これから一生、死ぬまでずっと凡人であることを、認め、それを死ぬほど自省し、もう少しなんとかなったかもしれない過去について、死ぬほど後悔する羽目になるのではないか。「NO.1にならなくてもいい」のではないのだ。もう、絶対に「NO.1」にはなれないのである。単純な順位のつく大会の話ではなく、より間接的な、どうしようもない部分の話である。これはテストや競技大会ではなく、広く言えば、芸術においての話だ。表現においての話だ。つまり、生き方においての話である。

「となるとあの歌詞は、「ならなくてもいい」なんて、許しと救いを示しているみたいだけれど、それはまるで「それでいいんだよ」と怠慢を許容するだけの、愛のない子育てのようなものだ。凡人が天才かもわからないっていう緩い吹き溜まりに溜まってるダラダラとした人間を製造してるだけだ。自らのこれまでを絶望し、自省と後悔の深い闇の中に身を埋める必要がある。「自分には本当に何もない」という言葉が、自己卑下などではなく、本当に等身大の言葉として、自らの口から出せるようになるまで、自意識を落とし込む必要がある。

「出会ってきた全ての人間がそうであるように、自分自身も、限りなく空っぽな凡人でしかなく、死んだところで生きていた所で歴史に名を残す必然性を持たない、どこにでもいる一人間であるということを、心の中核に刻み込む。

「もし過去に、そんな自分が、「自分には何かある」と思って表現したものがあったとすれば、それは大いなる勘違いのもとで生まれた、ただの自己満足であり、思ってるより自己中心的な主観が世界に嘘をついてうまく自分を騙しただけであり、故に、どこか不自然で、見苦しいものになっているに違いない。過去を振り返れば自ずとわかるだろう。

「ここで前回の話に戻るとするなら、ジョンもまた、歳をおうごとに、自分が凡人で、世界を変えることができないことがわかってくる。大きな力が生む強制力から解放されることが不可能なことが分かりはじめてくるだろう。

「でも、そうした現実の訪れの中でも、まだしぶとく生きたままの心の中の、「あれ、おかしいよな」を殺すかどうか、そこだけは、ジョンに任されていて、生きている間ずっと、自分で世界に変化を与えられないことが分かりきっているからといって、なにもせず、違和感を隠した世界の中で、自分を殺し切ってよいのかどうかは、それは本人の決めることである。そしてその決断というのは、等身大の自分を限りなく見出した先にぽつんと落ちている、正しさを持った小さなカケラを握りしめて決めなくてはいけないことである。

「人と何かを比べるたびに、自分の小ささばかりがわかる。それを確認するのに飽きて、閉じこもったひとりきりの世界で、沈黙の中に落ちる。闇に溶け、光を遠ざけ、生きた心を抱え込み、ぐるぐるする内臓を抑えながら、小さなカケラの明かりを頼りに、どうにか毎日を歩いている。

「さあジョンは、そこまでして、変えられない場所の中で、一体何を待つのだろう。

あれ、おかしいよな

続き

 

「…だからこう、いるよね。まず間違いなく、ダースベーダーみたいなやつが。具体的に誰とはわからないから、なんともこう説明しにくい感覚だけどもさ。滅茶苦茶おおきな力で洗脳するように押し寄せてくるパワーがあるよ。その背後で膨れ続ける怨念や希望を詰め込んだ風船の取り返しのつかない大きさも、なんとなく、感じる日があったりするよな。いつもじゃなくても、たまにでもさ。

「そう、だから例えばスターウォーズの中で敵の雑魚キャラ的な沢山の兵士たちいるだろ、あの全身白い、いわゆる「帝国軍」の兵隊達。あそこに少年が一人、仮に名前をジョンとして、入団したとする。なんだかこう、幼い頃からそこに入るために訓練されてきててさ、もう足並み揃えて行進するのがあたりまえみたいな感覚で、意気揚々と、ジェダイを倒して世界に平和をもたらすんだって意気込んで、入団したとする。そしてなんの疑いもなく街を焼きに行くわけだ。でもなんか、あれ、って思う日が必ずあるよな。「どっちなんだろうな」って、心の奥底で尋ねる日が必ず来るよな。例えば人が暮らしてた家の使い込まれた机を焼いたときかもしれないし、ジェダイが女の子を助けたときかもしれないしさ、あとはほんとに休憩時間にタバコを吸ってたときかもしれないけどさ、来るよな、一回は間違いなく。

「あれ、おかしいよな、なんかこれ、なんかおかしくないか、って。その感覚って例えば自分の部屋のもう何年も開けてない箪笥が帰ってきたらちょっと隙間空いてた時とかのさ、そういう、背中全部にゾワっとした感覚の走るような、そんな感じなんだよ。ミステリー小説の謎解き編に入って「あれ、もしかして犯人って…いやまさか…」ってなる時の感覚みたいなさ。

「そういう時にさ、気づかないふりをする人もいるし、おもしろ話にすり替えて消化してしまう人もいる。でもほとんどの人は忘れちゃうんだよ、なんだか、英単語とか世界史とかたくさん覚えてるとかそういうの関係なしに、沢山の人がそういう「ゾワっ」を忘れていくな。経験上感じるのは、その「ゾワっ」を捉えてる人の条件としてあるのはさ、その感覚の訪れを気づかないふりをする必要もないほどに「多忙じゃないこと」と、おもしろ話にするほどべらべらと話し合うような「友達のいないこと」、そして何より、「心のどこかでおとぎ話を信じてること」なんじゃないか、と思ってはいるんだが…。

「ジョンがさ、気付いたろ。そんでそれを上手く捉えたとするだろ。あくせくと早とちりの結論を出すこともなく、ゆっくりと背後から近寄って、その「あれ、おかしいよな」を生きてるままで、虫取り網みたいなもので捉えたとするだろ。そしたらさ、足を揃えて行進してたことだとか、正義と信じて疑わなかった大きな力の強制力とか、全部、外側から見えてくるんだよ。嘘みたいに、変に思えて来るんだよ。

「その瞬間から、ジョンの心は人間になってしまうんだな、多分。無意識に出来てた行進も、周りと足を揃えるために、自分の隠し持ってる「あれ、おかしいよな」がバレないように、毎回ドキドキしながらしなきゃいけなくなる。周りと話が合わなくなる。常に「なんで自分こんなことを」って憂鬱を感じることになる。けれど表立ってその「おかしいよな」を言っても、何にもならないんだ。まるで良い年になっても自己主張ばかりの売れない歌を歌ってるシンガーソングライターみたいに、本当に誰にも届かない只の「イタイ行為」になって、社会から殺されちゃうのさ。そんなのになるより、早々にギターを売ってスーツを着込んで、歌を歌った時代なんてなかったかのように職についたほうが何倍賢いか、ジョンはわかってるんだ。けれど、そんな風に「おかしいな」を手放すことができなくて、心の中で生きた感覚があり続けてるから、だからこう、毎日憂鬱でさ、ほんとは気付いていることを隠しながら、どんな場所でも腑抜けた笑い声でやり過ごしてるんだ。

「今もジョンが、腑抜けた笑い声で生き続けてる。多分さ、結構、いろんな場所にジョンはいてさ、自分こそはジョンだって思う人も、もしかしたら自分はジョンかも、って思う人も、自分こそはジョンだって思ってたけどもしかしたら違うかもな、って人も、結構いたりすると思うんだ。

「自分がジョンかどうか、ってことは確かに、考えるべきことかもしれないけれど、その後であともう一つ、考えるべきことがあるな。

「結局のところ、その膨らみ過ぎた怨念と希望の風船に対して、見えないけれど確かに存在するダースベーダーに対して、自分の中の「あれ、おかしいよな」に対して、一体どういった立ち位置で、どう振る舞えばいいんだろうな。

どっちなんだろうな

「結局のところ、どっちなんだろうな。

「偉い人、みたいに言われてる人はさ、伝統を受け継ぐとか、悲惨な歴史を繰り返さないようにとか、過去にあった革命を忘れない、だとか、あとはなんだろう、噂でもいいな、昔はこうだったから、それを取り戻そう、みたいなことを言おうとするだろ?

「感じてない人もたくさんいてさ、そういう人は感じてる人に対して、偉いとかなんとかいうんだけど、でもなんか、そういう責任感みたいのって、みんなほんとは簡単に感じられることのような気がするよな。例えば日本人は敵だ、憎めって、全く日本人について知らない兵士が言われたら、日本人に、銃を向けるだろう?少なくとも僕が外国の出身で、そして兵士になったら、そうなるに違いないと思うんだ

「どっちなんだろうな、そうやって言い伝えとか、昔にあったらしい何かを受けて、その責任感をひしひしと感じて、その重さを燃料に希望や、怨念みたいなものを作るべきなのかね。でも思うんだけど、そういうものを背負っている人、或いは集団ってさ、もしかしたら、もう引き返せないほどに膨らんでしまった風船を抱えてる、みたいなものかもしれないよな。割れたらその反動で大ごとが起きてしまうから、膨らんでいくことを止めることができないだけなのかもしれないよな。

「そしたらさ、それを捨てて、全部ゼロから、考え直してもいいとかさ、思っちゃうだろ

「でもそしたら僕らは毎日何を学んでいるんだろうな、何を見たり聴いたりして、何を学べばいいんだろうな

「どっちなんだろうな。少なくともいま、僕にはさ、僕の所属させられてる集団が持ってる、怨念や希望の風船はほんとうに大変な大きさにまで膨らみ続けてるように思うんだ。しかもみんな、自分はそれについて無責任だって、仮初めの感情で、思ってたりするんだな。それがほんとにそうだったらいいんだけど、なんだろう、とてつもなく大きな力が、風船が膨らんでるってことに誰も気がつかないように、こっそりとみんなをアホアホにして、風船をコツコツと膨らませてる気がするよ。どっちなんだろうな、っていう問いができない脳みそにしてしまってる気がするよ。ダースベーダーみたいなやつが、みえないフォースで僕たちを操ってるんだ。

「そういう時代だよ、みたいにまとめちゃっていいのかどうか、どっちなんだろうな。

カンテラ、第一弾の終わり。

この人とこうして遊びに出かけて、笑い合い、それでいて真剣に、これからのことや、今までのこと、美しいことや、くだらないことについて話し合うことが、自分にとって果たして何になるのかと言われて、はっきりとした答えが出るものではない。

けれどこの人のおかげで何かを作ろうとし、ギターを弾いて歌を歌って、自分の居場所を確かめ続けるというようなことを、信じて、行うことができている。本気で遊び方を考え、時間の来るまで楽しみ続けた休み時間や、放課後、休日のように毎日は面白い。

そう思える強さをもらっている。

 

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カンテラについて

先日ブログで書いたプロジェクト「カンテラ」ですが、このプロジェクトは、画像や動画、文章や音楽など、色んなものの形をとって何かを表現していくものです。

カンテラ」の第1弾である今回は、2週間平日のみ、全10日に渡って、何かを発表していく予定です。

主な発表場所はYouTubeinstagramであり、instagramだけの日も、YouTubeが出る日もあります。

更新情報(など)をお伝えするTwitterのアカウント(https://twitter.com/Kandelaar17)があるので、そちらをフォローしていただければ分かりやすいかもしれません。

 

さまざまな拙さがあることは確かですが、とても真面目に作っています。

よろしくお願いします。

 

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YouTube
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Instagram :  http://instagram.com/kandelaar.17

 

 

心が踊る

 

昔からの友人と、長い間話し合ってきたプロジェクトが今日始まります。

だから今日は何か旅に出るような気持ちで、もう昨日までの自分には戻らない気がしています。

僕にとっては、彼とこうなることは、10年以上前に二人で放課後の遊びを考え続けていた頃からわかっていたような気がするし、ずっとこんなことが起こればどんなに楽しいか、と、信じ、夢見てきた希望のようなものです。

どうぞ よろしくお願いします。

 

プロジェクト「カンテラ

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