膝を折り、水を飲んで

夏の連載2018 (7/4〜8/3)

構築の外

忘れていたのは微かな、しかしそれだけに確かだった、私たちの前に身構えている構築の外、虚の先にある、無。「無がある」。言葉遊びはこれだけにして、感じとれるのはやはり僅かな…

揺り動かすことをやめる。まだ、どこかに向かっていたつもりだったけれど、もう、どこかへ帰ろうとしていた。
あってないような街に立つ、二十五、五センチの立脚点

そういえばいつも、自信を持ちなさい、とあの人は言っていた。

ゴードンさんと谷の底

「谷の底に大切な歯車を落とした」依頼人の話を要約すると、どうやらそういうことらしい。なるほど、引き受けましょう。ゴードンさんは依頼人と握手をする。

どうするんですか、僕が聞くと、当たり前のような顔をして

どうするって、そりゃあ、取りに行くんだよ。谷の底にね、と、ゴードンさんはいった。

 

そして明くる日、鈍行列車を何本か乗り換えてカメのようにたどり着いた駅から、それまたカメのような進みでたどり着いたのは件の谷の底である。

氷があるわけでもないのに、そこは凍えるほど寒く、そして妙に反響する足音や暗く狭い道のりのせいで、なんだか生きる気力がだんだんとおっかない暗闇に吸い取られているようであった。

どうだ、ワクワクするだろう

街で買ったマッチから、手提げランプに火を付けたゴードンさんが楽しそうに言う。

どうですかね。僕は余裕があるふりをして答える。手提げランプは小さな円を描いて、あたりをうっすらと照らす。

こんな風にして僕は、どこにあるのかも、その大きささえも分からない歯車を求めて、寒く気味の悪い谷の底を歩くことになったのだけれど、怯えておしっこも歯止めがきかないような僕とは裏腹に(歯止めとは上手いことを言う)、ゴードンさんは軽い足取りで先を行く。彼についていくばかりの僕は、せめて、彼のしっかりとした目撃者になろうと思う。

一休みすると明かりを消して、彼は歌を歌う。僕もよく知っている、覚え易い歌を。その歌は真っ暗闇の中でよく響いて、あるべき場所へ、何かを収めてくれたみたいだ。

ゴードンさんが暗闇の中で、新しいマッチをする。手提げランプは小さな円を描いて、あたりをうっすらと照らす。

明け方の鳥の声

サッカー・ワールドカップというものをかつてないくらいに観た。

勿論、日本の試合は特にすごくきちんと観た(椅子に座って、コーヒーを片手に、時折天に幸運を祈りながら、観た。)。

決勝トーナメントのベルギー戦は、素人目に見てもとってもいい試合だった。しっかりと頭を使えば、「実力が劣っている」ということが逆に強さになるという、僕が数少ない人生で学んだこの世界の"面白さ"が垣間見えたような、そんな気がした。

けれど日本は、最後の最後でベルギーに逆転されてしまった。

力不足、とか、そんな言葉を選手たちはコメントしていたけれど、さっきも言ったように、力不足でも勝負が出来るし、力不足だからこそ何かできる一瞬をハナから狙っていたわけだから、選手たちは、もう何も考えられないくらい呆然としていたのだと思う。

監督もなんだか質問がうまく耳に入らないみたいで、言葉をぽつぽつと落としながらインタビューに対応していた。

結局、僕は日本が負けたのを機にワールドカップを観るのを自然とやめてしまった。いわゆる典型的な"にわか"というやつだったらしい。

思い出すのは、試合後にコーヒーカップを流しに持っていった時に聞こえた鳥の声。それに、あのベルギーとの最後のワンプレー。あの光景は、なにもかもを遠ざけてしまうくらいに、鋭くて、そして、うつくしい光景だった。

おそろしいくらいに純粋な、真実めいた一瞬間だった。

太陽は、少し

真夏の太陽は、少しまぶしすぎると彼が諦め混じりに言うものだから、本当だねと笑う隙間もなくて、ただ受け流しながら大きな公園を抜ける。その先にある学校、見知った人たちがまばらに行き交う私たちの居場所へ帰っていく。

「いつかは、想像を超える日が待っているのだろう」と耳元で「くるり」が歌えば、涙を流しながら力強く自転車のペダルを漕いだものだった。歯をくいしばるようにして、焦れったい毎日に地団駄を踏みたくなりながら、それでも無慈悲な崖を超え行けるその一瞬間を夢みて全部を風に託したものだった。恐らくあの頃は見えていたのだ、昂ぶる意識の先に、深く静かな景色が、幻のように、幻だと心の何処かで分かっていても、確かめられないままにして。

たしかに君の言う通りの眩しすぎる太陽にやられて、私はこの頃持ち歩くようになったパリッとしたハンカチで額の汗を拭う。

いつかはこの散歩も無くなって、私たちは離ればなれになる。涙混じりに想像していたあの崖の先に立って、私たちはそれぞれ何をみるのだろう。

羽ばたき

日ごとに二度、白く淡い光が立ち昇って、やんわりと散らばって消える。薄暗い病室の窓から見えるそれを「羽ばたき」と名付けたのは、読んでいた本の一ページの所為でもあり、同じくらいに、身を浸透するセンチメンタルの所為でもあるようだった。

こじんまりとした白い個室で、時折ドアを叩く人を待ちながら、詩の読み方を知る。詩は撫でるように、食べるように、笑うように、時たま覆うように読む。或いは、読まない。その隙間を皮膚でとらえ、騙されるように目を泳がせる。ふと顔を上げれば、立ち現れる「羽ばたき」…。

遠い場所を想うあまりに、わたしの身体はどこかあらぬ場所へと、ずれ始めているような気さえする。

十五、十六

 よく夢を見た。得体の分からない影に追われ逃げた先には教室があって、同級生たちが入ってきた僕をひたすら笑うという夢。「お前らには分からないかもしれないけれど」そんな常套句が意味を成さないのは知っているけれど、それでも彼らのふざけた笑い声だけが耳を何度もこだまして、生理的な嫌悪を感じながらうなされるようにして眼が覚める。

 高校生の頃、教師になんて絶対にならないと思っていた。どうして高校の教師は揃いも揃って表面ばかりを眺めて「まあ、大丈夫でしょう」と言うのだろうか。自分が安心できればそれでいいのだ。そうした自慰行為の何が「教育」だろう。職員室の裏には上級生たちが隠した上履きが泥にまみれて捨てられているというのに。たくさんの奴がその事を知ってるというのに。

登校中、電車の中で何度も聴いた音楽があった。その数分間は、酷くつまらない夜の夢が始まる少し前の時間を展開する。

僕は一人夜から朝焼けが立ち上るのを眺めている。屋根の間から光が差し込んでいて、隣にはあの髪色の薄い彼女が同じようにそれを眺めている気配があった。

「こうしてずっと続けばいい。」

彼女はそう言うと、笑う。

やがてまるで気の緩みを決して許さないみたいに、朝焼けは簡単に屋根の向こうで意味を失い、影が逃亡を急かし始める。僕は逃げる。怯えながら、同級生たちの笑う教室へ逃げる。

人の憂鬱を笑うことで一日をやり過ごす彼らの元へ駆け込み、夢が覚め、そして僕も気付けば教室で、彼らと同じように笑っている。

なんとなくの寂しさが夜に向かう

 クラス委員の少年は文化祭のアンケート用紙を回収しながらも、彼女の机の上に置かれたCampusノートの、筆圧が濃すぎてページがガタガタとしている様を認める。表紙には丁寧に過ぎるような"English"の文字。

 クラス・ルームを賑わす前髪ひと束をピンクに染めた人たちの強い響きの笑い声に隠れるようにして、彼女の秘密のノートには前かがみの憧れが潜んでいる。あの人たちが真似するアメリカのTVよりも繊細で、素朴な思い巡らしの中にそれはぼんやりと浮かぶ。

 少年は彼女の小さめの声を思い出す。ついでに頭でリズムを取りながら歌う合唱の時間の後ろ姿や、カタカナみたいな英語で自己紹介をするうつむき気味の横顔なんかを。

 彼女から回収したアンケート用紙には、丸みを帯びた女の子の字で、「バンド」と書かれている。少年はその紙を誰だか分からないように集めた紙の中頃に滑り込ますようにしてから、賑やかなクラス・ルームをゆっくりと見渡した。

 

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