僕とはちがう私のかたち:朝

本来動いているものから、すっかり離れてしまった自分を、ひそひそ合わせていくような、ゆったりとした時間が流れる、まるで夕方の散歩みたいな日曜日です。

今までとは全く違うものをエンジンにしなければ、何も始められない、と感じます。それはもしかしたら、大人になっている途中、ということなのかもしれない。ここ何ヶ月も、何一つ始める気がしない理由は、自分なりにわかっています。しがみ付いてまで叶えたかった夢や目標だとか、信じきっていた感動のあり方、だとか、人に対しての優しさのあり方みたいなものに、幾重にも重なり合っている、不規則に書かれた曼荼羅模様みたいな複雑さを感じて、もう何を書くことも、正しいということから(そんなものはないのかもしれませんが)離れていってしまう気がしている、といえば良いのでしょうか、物心ついてきた時からずっと持っていたコンパスがここに来て、方角を指すのをやめてしまって、これからの航海の行く先を決めかねているような、そんな毎日なのです。

それでも昨日とつながっている今日が朝を連れて来て、わたしはゆっくりと息をしながら、何をするでもなく、ぼんやりと楽器を弾いたり、テレビを見たりしています。昔から続く生活だけが波になってひそひそと、わたしの船をどこかへ連れていくのです。

 

 

 

「そとがわ」の産毛に手を掠めている

彼女は余白を信じている。屹立する木々の間、木漏れ日を小麦色の頰に受けて時期を伺いながら。我々はそれを、少し卑しげに認めている。

夜明け時、小鳥や栗鼠などの小動物がなにやら慌ただしく辺りへ四散していく。広がるのは茫漠とした不安。対して彼女は新たな温度を感じ取ると、大きな確信を抱いて眼を開ききった。

やがて指先がきっかけを捉えた刹那、高く躍動した彼女の身体を、流動が僅かに超えていく。まるで揺れたコップの水が持つ表面張力みたいに。

彼女の「そとがわ」を目指す魂が、かすかに感じとっている"あちら側"。

我々が忘れてしまったその場所ではいつだって、境界は超えられようとしている。ぼんやりと自動販売機に対面しているまさにその時にだって、彼女は語り得ない「そとがわ」の産毛に手を掠めている。

今年の猛暑度合い

度重なる猛暑でタケルの家の犬が溶けて、ぶよぶよとした犬になったらしくって、まるでサチィみたいじゃないかって笑いとばしてみたんだけど、ふと見れば僕の髪の毛も溶け始めていて、あっという間にハゲ頭になっちまったわけ。

そしたら中学生の頃から連絡とってない優秀だった女の子から連絡が来たものだから、それどころじゃない感満々で、世にも冷たいスタンプを返したら途端アイフォンも溶けちまってささやかな爽快感。僕はまわりにある知らぬまに溶けていたさまざまなものを探した。かーちゃんの手鏡は溶けて過剰にシワがあるようにみえるようになっちまってる。花屋のチューリップは溶けてやけに高値で売れる抽象絵画になってて、ローソンの看板は溶けすぎた結果ギリシャの国旗になってた。

でも何てったってこれが一番で、吉祥寺駅は全てのスピーカーが溶けて駅メロやら放送の類全てが聞こえなくなってた。代わりに熱さに強い吟遊詩人が故郷である火星の歌を歌ってる。少しだけわびしくなるような歌で、僕は踊りながら骨まで溶けて無くなっちゃった。

2017/03/19

繊細な優しさは頰に触れる前に溶けてしまう雪みたいだ。人肌の気配を受けて世界から消えていくものだから、気づかない人はいつまでも気づかないまま。

もどかしさを抱えていた少年の右目の隅にきらめいていた星。臆病さに押し負けていた少年の左目に佇んでいる月。

星と月。夜が来れば繊細な優しさの中で繋がっていく。女の子がすやすやと眠るベッドを照らすような、ほんの少しの光が頰の温度に溶けていく。

メモ

ずっと思い描いている美しい世界だけを好きでいたいと思う瞬間が多々あるのに、書いていたいと思うのに、それだけで終わらないから、これからの僕が、今まで以上に本を読んだり、音楽を聴いたりしながら、沢山の世界を目にするように生きることになるのではないか、と今日は思っていたりする。

ドビュッシー堀辰雄コクトーやらフォーレやらサリンジャーやら、それらは自分が同調できたから好きなのだ。けれど、これからの世界との接し方は、もっと空から自分を見ているような、静かだけれど確かな、「観測」みたいなものなんじゃないか。僕はもしかしたら、そうした静けさの中でもうまくやっていけるのではないか。これは一つ理想的な考えではあるけれど、そんな風に、逃げ回り続けている学問的なことだって、これから少しずつ、うまくいけばいいのにな、と、今日ばかりは思っている。

メモ代わりの日記。

The Apostle

 窓から抜け出して夜を歩く。ゆるされた外出時間だけじゃあ物足りないわたしの生活

はじまりはいつだってわくわくより、何もないきもちの中にあって、気づけば変わっていく景色だけがだんだんと、色づいていく、「かもしれない」未来を可愛らしく形作っていく

ほんとうのことをいうと、もう毎日には変に思うことばかりで、歯止めも効かなくなっているわたしの嘘つきみたいな微笑みを、部屋に留守番させておきたいみたい

ここからなら柵の向こう、遠くまで見渡せる。自分じゃない自分だけが、わたしたちの生活の中で色づいているというのなら、きっと、不確かだと思っていたわたしたちのいじわるな部分だって、こどもっぽいところだって、踊りやおしゃれの一部でしかないんだと思う。

だから身をゆだねるように、まるで気分で作った音楽に恋をするみたいに、緩やかにいきるつもり。

 

youtu.be

(ever)lightgreen

わたしは誰かほかの人間であったりだとか、何か大きな仕組みだとかと手を取り合って、あるいはよいしょしてもらったりして、健やかな毎日を過ごしていける。そういうことはもうなんとなくわかる。わたしは、ひとりで生きていける、と言えるほど強くないし、そんなはげしい心はいつかの昔にどこか遠くに落としてきてしまったから。

それでもその気になれば、わたしはどこまでだってもう、ひとりでいける。誰かの帰りを待たなくたって、お気に入りのコートを買って、溶け出すように街の中を闊歩して、あざやかな色の電車に乗り込み窓の外に広がる夕暮れを好きなだけ眺めながら、ネオンの眩しい新宿にだって、ちっちゃい頃に住んでた家の近くにあった公園にだって、いける。

みんなを裏切るようにして、例え誰かに「冷たい」と陰口を叩かれたって、何処へだって、いける。