フクラム国

タルイのブログです

にっき11

神戸日記5

 

8月某日

 

神戸に住むおばさんが微妙な顔になったのにたぶん誰よりも早く気付いた。僕は草むしりに夢中というようにして事の顛末を見守る。墓には東京に住む父親の名前と埼玉に住むおじさんの名前が既に入っていて、「ここに入らんわけにはいかんよなぁ」というおじさんの声はおばさんの顔に一抹の焦りを生み出すと、雲が晴れて焼け付くような暑さが首筋を襲い「あっつい」と気怠そうな母親の声が聞こえた。

 

おかしくなりそうな暑さにやられながら無意識に線香の灰を落とす。小慣れた手つきは誰にも目撃される事がなく、親戚たちは墓場の前で腕を組みつまらない話をしている。

ここでの僕は猫。好き勝手に音楽を聴きながら、気ままに寝てたまに走り出すよく分からない子ども。ジャズのアルバムを積み上げるように聴く。僕が煙草を吸うことは誰も知らない。

にっき10

神戸日記4

 

8月某日

 

SUNDAYとだけプリントされた色違いのtシャツに身を包んだ3人の日に焼けた少女たちが自撮り棒を使って精一杯の顔面創作に勤しんでいる淡路島のパーキングエリアであった。

 

曇り空は頭をほんの少しきつく締める。気圧の影響はある程度神経が外に向いていればごまかせるけれど、年の離れた人たちについていく旅行中ほど神経が自分へ向くことなんてなくて、ほんの少しの影響にいちいち反応する。

そんな状態で入ったレプリカの美術館は流れている音楽やキュレーションだけでなくてレプリカ自体が残酷に神経を削っていくようなもので、重たく装飾された「アイ・ガット・リズム」が流れる休憩所にモネの大睡蓮(with湿気と高速道路と藻みたいに浮かぶ睡蓮)とやら、ここはチャイナかとでもつっこみたくなるし客は中国の方が多いように思える。

レプリカを並べて、ここがこうなってるの面白いでしょ、みたいな話とか、修復前のもあります、みたいな話は時と場合によっては面白いのかもしれないけれど今はとてもじゃないけれど耐えられない。本で読めばいいじゃんね歩くのだるいし変に本物に寄せてるのが何かを疲れさせる。イヤホンをつけてMJQのライブを聴きながらレイモンド・カーヴァーの短編集を読む。どちらもこの旅行が始まる少し前から覗き込んだ新しい世界で、そんな目新しさとか倦怠感とかが、今の気分に割に好意的に交わってくれる。

 

にっき9

風邪気味で行く神戸日記3

 

8月某日

 

最近は母親の怒りを台風かなんか異常気象のひとつだと思うようにしていて、これが案外その通りらしい。

あれは理屈ではないし、「正しさ」によって収まるものでもない。流動的なマグマであって事実関係などはあまり関係ない。原因を特定したところで台風がなくならないように、一度低気圧やら高気圧やらがまずい具合になって台風の芽ができたら本当に収まるまで待つほかないのだ。

しかし超常現象は耐え忍ぶものであると同時に、工夫次第でいくらかの被害を防げるものでもあって、吹き荒れる台風はどうにかしてやんわりと上手く少ない被害に抑えられたりする。

そしてその「被害を最小限に」は地域の人々が結託して行わなければならないものだ。具体的に言えば母親の怒りが起こった場合まずすべきことはそれが他人に(父親に)向けられているとしても台風という客観的事件の収束のために全力で謝り倒すことである。やんわりと、気持ちを込めるようにしてひれ伏す。

ちなみに我が家は二世帯住宅で祖母は未だに甲高い声をしていて、祖母が何の気なしに放ってしまった甲高い一言がまるでコーラに入れたメントスのように爆発を引き起こしてしまったりして、そういうのが本当に勘弁。

 

アウトレットで靴を買うことになって僕は空気公団の「真っ白い靴が汚れている そのくらいがなんだか好きなんだ」という歌詞を思い出し汚れた白に憧れて白い靴を買ってみたら案の定台風が起きた。白い靴は母親にとっては圧倒的タブーだった魔法学校におけるアバダケタブラのように。

僕たちは自分の持つたくさんの大切なもの、手荷物やら夢やら思い描いている未来やらほんの少しの自分への肯定意識などを飛ばされないように胸に抱えて言葉の無差別な暴力に耐える。人権はそこにはなく、やもするとそれは虚言だと言い当てたくなるがそれは風を悪化させる事にしかならないのは百も承知だ。父親もお前一次被害でどれだけ防げるかが鍵だぞ、という目をしている。

父親を盾にする。僕は何の気なしにイヤホンをつけて眠るふりをする。

イヤホンを外す気はない。外はまだ吹き荒れていて、親戚たちに乱雑な風があたっている。本当に皆さんすみません。

にっき8

 風邪気味で向かう神戸日記2

  

8月某日

 

小学校の頃、ワクチンを作るためだとかいって寄付するペットボトルの蓋を集めていたあいつは、いま思うと、多分本当にそのためだけに蓋を集めていたような気がする。

あまりにも蓋を集めたがるから、僕らの周りでは蓋が出たらあいつに渡そうという暗黙の決まりみたいのが出来ていて、それを僕らは一種の身内ルールみたいな感覚で楽しんでいたけれど、あいつはそんな風に変に一度決めたらやり続けるど直球なやつで、好きな人ができて激ヤセした時もマラソン大会に向けて長距離走を始めた時も最初は面白がっていた僕を「お前には敵わないよ」とか言いながらいつの間にか追い越していった。一緒の帰り道でカードやゲームの話ばかりしていたはずなのに、気付けば船乗りになろうとそのための大学に行って一生懸命に生きている。

僕を将来船に乗せてくれるらしい。僕はその時あいつのために何ができるだろう。

いま頭に思い浮かんだことはここに書くことはしないけれど(公の場に書いてしまうと成し遂げられないことばかりだ)、あいつの船に乗るときに、「すげえなぁ」なんて手放しに喜ぶばかりで完全な乗客の一人として心から海の旅を楽しむなんて、そんなのは悲しすぎるじゃないか。

 

甲南パーキングエリアは忍者の里とかいいながらたこ焼きの旗が振られていて、僕は飲み干した生茶を捨てようとゴミ箱の前で蓋を外す。

蓋の集まり方はイマイチで、本当にこんなんで、と不用意に笑った。

 

にっき7

風邪気味で向かう神戸日記

 

8月某日

 

東京もそうだったが、ここもどんよりとした曇り空だ。比較的ラフな格好をした人々は(少なくとも表面上は)仲睦まじそうに、駅前の移動販売車で売られていた際にはあれほどまでに素通りしていたはずのジャンキーな食品たちを興味深そうに眺めている。

トイ・プードルを連れている上白下黒という世界的無難ファッションで肩だけ丸く空いているような清楚系女子大生やら26歳やらが揃いも揃って背負っているあのスクエアリュックとやら、友人の「ああいうの10年後に見たときに恥ずかしくてたまらなくなるんだろうな」という言葉を何の気なしに思い出す。

岡崎パーキングエリアにいる人々は多種多様でありながら、十全な安心感を得ているような笑顔を持っている人は一人もいなくて、それは天候のせいかもしれないし、彼らが移動中だからかもしれないし、もしかしたら、この場所が果てしなく不自然だからかもしれない。

単に自分の鏡として世界があるみたいなあれか。

にっき5

 胃腸炎は治らない

 

8月某日

 

きゅうりの裏はナスで、柿ピーナッツの裏はとうもろこし。じゃあ絆創膏の裏はなーんだ。

というなぞなぞを謎の方から思いついた。こうなるとなんとかして答えを見つけたいところなんだけど、なかなかにむずかしい。ナスときゅうり、とうもろこしと柿ピーナッツの間には確かに相関関係がある気がするけれど、だからと言って絆創膏の裏を特定できるかといったら難しい話だ。

 

–上野公園で東洋風の衣装をまとって台風よけの踊りをしていた時の話だ。僕は風に乗ってインド人が流れてくるのを認めた。

「ボンジューフ」そのインド人はいう。

僕は笑って、

「今日は雨、降りますかね」

と返した。インド人は僕の質問に答えずに、「夏だな」と低い声で呟く。…–

 

という書き出しを思いつく。これはいけそうである。

なんだか今日はそんな日で、もう寝ようかな、と思っています。

にっき4

私は嫌な子なんだろうな

 

8月某日

 

フルートのパートリーダーになってから、前の部長と二人でサンマルクカフェに遅くまでいることが多くなった。今日もそんな日で、部長は受験勉強で忙しいとかいいながら、私の話に付き合ってくれて、自分の場合はこんな風に考えたよ、なんて、アドバイスをくれる。部長はタフだったからみんなから信頼されていて、男とも普通に話が出来たけれど、私はどちらかというと引っ込み思案で、フルートは女の子しかいないから楽しくやっているけれど、トランペットのヤクザな男とかとの折り合いがつかないし、管楽器の分奏になったときとか、前に立って指揮をすることもあって、何かと困ってしまう。

部長は親身になりすぎるくらい親身な話にのってくれる。受験勉強がいやなんだと思う。私は多分、そんなに嫌にならないんだろうな。

サンマルクの奥の方で死神みたいな顔をしながらパソコンに向かっている大学生がいて、白髪まじりで、気の毒な人だと思ったけれど、ココアのMを美味しそうに飲んで微笑んでいるから気持ち悪いけれどあの人もそれなりに楽しくやっているのだと思う(やっています)

部活は嫌いじゃないけれど、人間関係について考えると嫌になってくる。こうして部長の話を聞き流すようにして、死神みたいな大学生が気になってしまう私はやっぱりちょっと嫌な子なんだろうな。

「大丈夫だよ」と前部長は言う。私は「ありがとうございます」と救われたように返す。